あえていま、魯迅を読もうと訴えたい。
魯迅は社会を痛烈に批判した小説を口語で発表して「中国近代文学の父」と讃えられている。列強国の支配に異議を唱えた「五・四」運動の精神を導く先駆者として尊敬を集めた。
代表作「阿Q正伝」「狂人日記」「故郷」などが収録されている作品集「吶喊」を執筆したのは1918年から22年にかけてのことだ。当時、中国では辛亥革命が挫折し、中央政府はないも同然で、軍閥が群雄割拠していた。さらに、イギリス、ドイツ、日本など外国勢力の侵犯に対して、国内の勢力が団結して対抗することもできなかった。おそらく絶望的な空気が世の中を支配していたことは容易に想像できる。
自分をも断罪するという切迫感
「阿Q正伝」は辛亥革命と、それについていけない無知蒙昧な民衆を辛辣に描いている。とりわけ、どうしようもなく自尊心のない阿Qという人間の一挙一動を描写する。
阿Qは他人に殴られても、怒ったり悲しんだりしない。〈倅にやられたようなものだ。ちかごろ世の中がへんてこで…〉と考えて世間のせいするという「精神的勝利法」を発明してやりすごす。この方法はどんどんエスカレートし、自分で自分を殴って〈そのうちに他人を殴ったような気がして〉満足する、というものにまでなっていく。
魯迅が阿Qに注ぐ観察眼は過酷なまでに厳しい。それでもその視線が読者にとって受け入れられたのは、啓蒙的なものでもなく、一方的な告発でもなく、魯迅が阿Qと同じ地平に立って阿Qの卑屈さ、弱さを自分も共有しているということを示唆しているからではないか。小説の発表後、中国では「阿Q精神」という言葉が流行して、さまざまな論争が巻き起こったという。
自分をも断罪するという切迫感は「狂人日記」にもっともよく表れている。
この小説は人食いという強迫観念に囚われた男の話だ。男は周囲の人間を見るたびに「あいつは人食い」「俺のことを食おうとしている」と疑う。中国の昔話、言い回しには食人を表したものがたくさんあり、それを巧みに利用して魯迅はサスペンスを作りあげた。
男が告発する人食いの罪はいつしか自分の親や兄のものになり、そしてついには自分にも及んでいく。他人の告発だけではなく、いつしかその告発は自分にも向けられる、その切迫した危機感こそが作品の価値を高めた。
藤井省三さんの論考の内容を使っているのに、藤井省三さんの名まえをあげていないのはなぜでしょうか?あまり広くには知られていないことをマスメディアでわかりやすく紹介するというのはとてもいいことだと思いますが、一言書けばいいだけなのに、それを怠るというのは、専門的な研究調査に対するリスペクトが欠けているのだと思います。マスメディアや著作に関わる人間として、このような態度は問題だと思います。(2011/08/22)