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「真性の徳」と「養子縁組の徳」

共感する【7】――初期カントの道徳論

2011年8月25日(木)

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イギリスの道徳論の伝統

 アダム・スミスは自分の苦しみへの他者の共感を求める感情のうちに、道徳性の端緒となりうるものをみいだしたのだった。スミスの道徳理論を展開した書物が『道徳感情論』と題されていることからも明らかなように、スミスは道徳的なものを人間の感情のうちに求めたのだった。

 イギリスの道徳論の伝統は、人間には道徳性を感じ取る感情のようなものがあることを想定するものだった。スミスが学んだシャフツベリは「道徳感情」という概念を構築したが、これは人間には「善をなす自然の傾向」があると考えるものだった。人間には悪をなす傾向があるのではなく、悪徳を憎む自然の傾向があり、それは説明困難なもの、根源的なものとして想定されていた。

 シャフツベリはこの道徳的な感情は、美を感じる感情と同じ源泉から生まれたものであり、「美的知覚と道徳的知覚は事実上同じものであり、それが適用される対象が異なるだけ」[1]なのだと考えた。だから美的な感覚を培うことは、道徳的な感覚を培うことと等しくなる。「諸君の趣味を洗練せよ」[2]というのが彼の決め手の言葉だった。

 これをうけついだハチソンは『美と徳の観念の起源』において、人間には外的な感覚と内的な感覚が存在することを指摘する。人間には視覚と聴覚という外的な感覚の知覚がある。これにたいして「美と調和の観念」を知覚するのは内的な感覚である。それは利害の予想とは独立したものであり、他の動物にはみられないもの、そして自愛心とも独立したもの、そして必然的なものである。「美と調和の観念は、他の感覚的な観念と同じく、直接的にわたしたちに快いとともに必然的にもそうである。わたしたち自身のどんな決心も、有利不利のどんな予想も、対象の美醜を変えることはできない」[3]のである。

 ハチソンはさらにこの道徳的な感覚も、この種の外的な感覚とは異なる種類の内的な感覚であることを指摘する。それは自然的な善や悪の観念とは別のものであり、個人の利害からは独立したものであること、そして個人のうちで働くと同時に、公共的な福祉を向上させることを主張する。「自然的な対象は快によって有利であると規定されるが、わたしたちがその快を自然対象のうちに知覚する感覚は、公共の善へのいかなる欲求ももたらすことはない」[4]が、道徳的な感覚は公共の善を促進すると考えるのである。

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「「真性の徳」と「養子縁組の徳」」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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