乾物や製菓材料を多く扱い、10月下旬オープンのルミネ有楽町店にも出店するという店が近隣にあります。棚の多くを占めるのが豆です。藤豆、刀豆、ササゲ、小豆、大豆…「豆」は秋の季語なのだそうで、そういえば袋に「新物」ってシールが貼ってあります。乾物店でも季節を感じるようになれば、一人前のかわずくんですよ〜。
今回は、「マッハ575」12回と、兼題「夏休み」「夕焼け」に寄せられた句の選評を公開しますよ!

マッハ12.自分のなかの言葉は全員同じ。
自分の外にある言葉は無限。
「京都マッハ」をやって確かめたこと(1)
日直のボウシータです。
ある美術大学で1か月ほど、大学1年生相手の俳句のワークショップ「京都マッハ」というものをやってみた。人数は8人でスタート、3人が脱落、2人が途中参加。最終的には7人が残った。
形式は互選句会。ひとり4句投句して、私(投句しない)を含む全員で選句し、コメントする、という形式。これを6週間やった。
このときのことをきょうは書いてみます。
歳時記は価格の面を考慮して、『今はじめる人のための俳句歳時記』(角川文庫)を推奨したが、なかには家族のだれかが持っていた稲畑汀子編『ホトトギス季寄せ
』(三省堂)などという渋めのものを持ってきた子もいた。これと電子辞書の国語辞典を持参して句会が始まる。
最初の3週間は、俳句らしい俳句というのがあまり出てこない。それはまだ彼らが、自分のなかにある言葉で俳句を作ろうとしているからだ。
自分のなかにある言葉とは、自分が制御できる言葉のことだ。自分の意図にある程度忠実であって、その言葉で自分がなにを言おうとしているのか、自分ではよくわかっている(意図したとおりの意味で他人に伝わるかどうかはべつなのだが)。再三言うとおり、人間のなかにある言葉などたいてい同じなのだ。まして、同じ時代に同じような年齢で生きていたらなおさら同じ。
そこのところでほとんどの子が派手に壁にぶつかった(第1段階)。「こういう内容を言いあらわそう」と考えて、その内容にそった言葉を捜そうとしてしまうのだ。その内容のほうを変える、という頭がないものだから、できあがった俳句はうまくいったばあいでも意味が全部わかりすぎの、読み手としては「で?」っていうしかない俳句(以下「でっていうポエム」)か、たいていは舌足らずで意味不明なボケボケフレーズ(俳句になってない)になってしまう。
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