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「この花は美しい」と言う人が他者に求めているもの

共感する【8】――カントの共通感覚の思想

2011年9月1日(木)

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同情心の否定的な評価

 カントは批判期以後は、このような同情と名誉心の理論を否定する。その理由は大きく二つにわけることができるだろう。一つは方法的な理由であり、『実践理性批判』において道徳の理論のコペルニクス的な転回が行われ、善なるものが意志の実質ではなく、意志の形式だけに求められるようになったからである。「形式的な最高原則を従来のすべての道徳の実質的な原理と比較してみると」[1]、これらの実質的な原理はどれも、結局は自己の幸福を最高の目的とするものであるとカントは指摘する。これは真の意味での道徳の原理となりえないのである。

 道徳的な感情についてはカントは「ある特殊の道徳的な感官を認める人々の言い分」[2]を批判するが、それはかつてのカント自身でもあったのである。この理論では「道徳的法則を規定するのは理性ではなく感官であり、この感官によって徳の意識の直接の満足や快楽と結合される」[3]。これは道徳性を目指すようにみえながら、自己の幸福を究極の目的とするものである。

 第二の理由は、そのもたらす効果にかんするものである。カントはこのような同情や名誉心は、それが道徳的に好ましい外見をもつだけに、真の道徳性のためには有害なものとなりかねないと考える。同情で困っている友人に援助をするならば、それはいかにも道徳的な行為にみえるが、実は真の意味での道徳的な行為を曖昧なものとしてしまいがちである。本人すら、自分が道徳性の原理にしたがって行動したのか、それとも友人にたいする同情心にしたがって援助したのかがわからなくなってしまうだろう。

 カントはこれがつづくと、たんに道徳性の原理があいまいになるだけではなく、自分がたんに同情という心の傾きにしたがって行動したのにすぎないのに、自分の道徳性の高さに自惚れるようになる傾向を招くことを懸念する。そこからは強い自尊心が生まれ、自分の道徳的な価値についての思い違いが生まれ、やがてはその人を滅ぼしてしまうかもしれないからである。

 カントは、「人々にたいする愛ならびに親切な行為から彼らに善をなし、あるいは秩序にたいする愛から公正であることは、たしかにはなはだ結構なことである。しかしわれわれがいわば義勇兵のように、高慢な自負をもって自分を義務の思想以上であると思い込み、また自分を命令によって制約されないものである」[4]と思い込むならば、それは「自負が神聖な法則の尊厳を否定する」[5]ことである。

 同情心に基づいて善をなすのは、かつては「養子的な徳」として称揚されたのだった。しかしこの時期のカントは、そこから生まれる自負心が、徳そのものを破壊してしまいかねないことを危惧するのである。同情は徳に近いだけに、その害もまた大きいということになる。それは「同情するわたしが好き」という道徳的に倒錯した自愛を生みだしかねないのだ。

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「「この花は美しい」と言う人が他者に求めているもの」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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