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「自分だけ弁当持参は恥ずかしい」

他人との違いを恥じる思いと、違いがもたらす羨望のまなざし

  • 佐藤 兼永

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2011年10月11日(火)

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 前回は、最近の学校がムスリム家庭からの要望に配慮する傾向があることを紹介した。しかし学校の理解を得ることは、ムスリム家庭の教育において、最初のハードルにすぎない。その先には、同級生に受け入れてもらう問題と、ムスリムの子ども自身のアイデンティティ確立の問題がある。そしてアイデンティティの問題は、ムスリムとしての信仰心をどう育むかという問いへ行き着く。

 ムスリムの親たちの中には、子どもが少しでもうまく学校生活に溶け込めるよう、弁当のメニューを給食の献立に合わせる人がいる。大久保さんの奥さんもその一人だ。

 大久保麻衣ちゃんの担任をしている春日部市立正善小学校の赤塚夏子先生は次のように語る。「大久保さんがすごく気を遣って、給食と同じメニューでお弁当を作ってくださったりするので、周りの生徒が『いいな。いいな。ずるい』とかなることはないんです。でも、子どもたちの素朴な疑問として『なんで麻衣ちゃんはいつもお弁当なのかな。いいな』とは言ってました」。

 去年、麻衣ちゃんの兄の泰君を受け持った宮脇和希先生も、泰君が弁当を持ってくることに対して周りの子が疑問を抱いたという。「ただ、それで大きな騒ぎになることはなかった。『そういう事情があれば』ってことで周りの子も納得していました」。

 泰君や麻衣ちゃん自身も、自分たちが他の子たちと違う部分があることを納得しているようだ。赤塚先生が麻衣ちゃんの様子を語る。「本人が『もうこれをしなきゃいけない時間だ』とか、『お祈りに行かなきゃいけない』『お弁当は別だ』ってこと納得している。本人が気にしている様子は全くないです」。

自分だけ違うのが恥ずかしい

 大久保さんの子どもたちに限らず、まだ子どもが小さい時には、本人も周りの子どもたちも違いを余り意識しない場合が多い。しかし思春期以降の子どもたちの話を聞くと、違う感想が耳に入る。周囲との違いに決して無自覚ではいられなかった時期を過ごした経験を打ち明ける子どもたちもいる。

 パキスタン人を父に、日本人を母に栃木県で生まれ育った小椋ハシーブ君にとって、肌の黒さに触れられるのがいちばん嫌だった。しかし学校に弁当を持っていくことも、長い間、嫌なことの一つだったという。給食の時間になると「変にそわそわして。下向いて弁当隠して食ったりしてた」と言う。

 「中3から高1くらいまでは、自分だけ弁当ってのが恥ずかしかった。あと、やっぱり抵抗感みたいなのがありました」

 「自分の行っていた学校や周りに、他には全くムスリムがいなかった。日本は宗教のないところなんで」

 ハシーブ君は幸い、高校2年生のころ、自分が思っているほど周りの友人たちは、ムスリムとしての自分を気にしていないことに気づいた。そして周りと違うことに対するコンプレックスは薄らいでいった。

パキスタン人の父親と日本人の母親の間に生まれ、栃木県で育った小椋ハシーブ君。以前は周囲との違いに敏感で、豚肉など食べられないものがある理由を、周りから聞かれない限り説明しなかった。今では「宗教的にだめだから」と自ら話せるようになった。

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