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同情という感情に潜む快楽を暴く

共感する【11】――ニーチェの同情論

2011年9月22日(木)

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ショーペンハウアーとニーチェ

 このようにショーペンハウアーは、同情を愛そのものとみるほどに重視した。人間の意志は個体としての人間に苦悩をもらたすが、苦悩する他者に同情する気持ちが、この個体を個体として閉じ込める原理を突き抜けるものとして高く評価されたのだった。

 ショーペンハウアーから強い影響をうけたニーチェは、ショーペンハウアー批判の過程において、同情の道徳性を強く批判するようになる。同情の概念の批判がある時期、ニーチェの思考を導いていたことは、ニーチェの著作の多くに同情批判が登場することからもうかがえるだろう。ニーチェは同情の概念をキリスト教の隣人愛の批判を背景としながら批判してゆく。

隣人愛と同情

 隣人愛とは、苦しめる隣人に愛の手をさし伸ばすことである。イエスは隣人とは誰かという問いに「善きサマリア人」のたとえで答えた。強盗に襲われて死にかけている人をみて、同国人である祭司もレビ人も側を通り過ぎたが、異邦人であるサマリア人は「その人を見て憐れに思い」[1]、助けて介抱し、宿屋に連れてゆき、宿屋の主人にお金を払って介抱を頼んだのだった。

 イエスはそのとおりすがりの三人のうち、誰が隣人かと尋ねる。ほんらいの隣人である同国人ではなく、異邦人が隣人であるのは、苦しんでいる人に同情したからである。隣人愛は何よりも同情心なのである。

 しかしニーチェはこの同情心としての隣人愛のもつある弱さに注目する。第一に、この同情としての隣人愛は自己からの逃避である。「君たちの隣人愛は、君たちの不十分な自己愛である」[2]。「君たちは自分自身から隣人へと逃避し、そのことを自分の徳にしたがる」[3]。自分を十分に愛せないがために、自己をみつめることができないために、苦しめられている隣人を助けようとするのだと考える。

 それどころか、隣人愛は自己への憎悪の現れであるかもしれない。自分を憎み、せめて隣人からの感謝の気持ちで、自己への憎悪をごまかそうとするのかもしれない。「君たちは、自分自身に我慢がならず、自分を十分に愛していない。そこで君たちは隣人を誘惑して自分に好意をいだかせ、隣人の思い違いでもって、自分を金めっきしようと欲するのだ」[4]ということになる。

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「同情という感情に潜む快楽を暴く」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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