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このイノベーションを見よ!『TOKYOオリンピック物語』 ~いつだって時代は過渡期

  • 浅沼 ヒロシ

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2011年9月26日(月)

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TOKYOオリンピック物語』野地秩嘉著、小学館、1890円

 1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックは、人々が待ち望んだオリンピックだった。

 40年に開催予定だった東京オリンピックの中止から24年。日本にとってはもちろん、アジア地域で初めて開かれたオリンピックなのだ。日本が第2次世界大戦後の混乱から抜け出したことを、国際社会にアピールする初めての機会である。また、植民地からの独立を果したアジアやアフリカ諸国による初出場が相次ぎ、過去最高の出場国数の選手団を迎えることになった。

 日本は、国を挙げての大騒ぎになった。

 オリンピックに合わせて新幹線、モノレール、高速道路が作られ、地下鉄路線も増やした結果、東京中をいっぺんに掘り返すような突貫工事が行なわれた。当時のオリンピック予算の4分の3を投じて作られた交通網は、その後日本の高度成長を支えるインフラとなるのだが、大会を運営する現場からも、後の日本に普及していく多くのスタンダードが生まれた。

選手1万人分の給食事業

 本書は、全体予算のたった1%の経費をやりくりしながら大会の運営を支えた人々のルポルタージュであり、彼らが作りあげたソフトシステムの誕生物語である。

 大規模なイベントの運営は、何もかもが初めて尽しだったが、1万人の選手団に食事を提供する給食事業もまた、前代未聞の仕事だった。この選手村食堂の運営をまかされたのは、〈帝国ホテルの新館で料理長を務めていた村上信夫だった。オリンピックが開会した時は43歳の働き盛りだった〉

 選手村食堂をまかされたといっても、帝国ホテルの新館料理長の仕事を免除されたわけではない。帝国ホテルの仕事をしながら、世界中からやってくる大勢の選手に喜んでもらえる食事をどう作るかを考えなくてはならなかった。

 村上が力を注いだ準備は2つあった。

 1つは、日本にはなじみのない国のレシピを作りあげること。ハンガリー、ポルトガルといった料理本が手に入る国は本を参考にすればよかったが、料理本が手に入らない国もある。中近東やアフリカ料理は、〈各国の在日大使館を訪ね、大使館付きの料理人や、大使や館員の夫人に代表的な料理を作って〉もらったという。部下を派遣するほか、村上自身も大使館を訪ね、試食してはレシピを完成させていった。

 村上のもう1つの工夫は、冷凍食品を材料として使うことだった。選手たちは一般人の2倍のカロリーを必要とするから、一般人2万人分の料理を提供しなければならない。〈食材の量も膨大で、ピーク時には一日で肉が15トン、野菜が6トン、卵が2万9000個にのぼった〉ほどだ。

 これだけの量を生鮮材料だけでまかなおうとすると、マーケット価格に影響を与え、値段が上がってしまう。いっぺんに調達しようとせず、事前に買って冷凍保存しておく必要があったのだ。

 しかし、当時の冷凍食品は決しておいしいものではなかった。「冷凍食品はくさくてまずい」というのが常識だったという。

 村上は食材の冷凍方法を研究することにした。パンアメリカン航空への出向経験を持つ部下から「なるべく低い温度へ急冷するのが良い」というアドバイスをもらったり、ニチレイの技術者と一緒に、冷凍前の処理方法や解凍方法の実験を繰り返したりした。

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