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過酷な強制収容所で同情が見せた力

共感する【12】――石原吉郎と鹿野武一

2011年9月29日(木)

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同情の力

 ニーチェはこのように同情という感情のもついくつもの〈罠〉に注意を促した。ニーチェは、この感情は、同情された側には恥の感情を引き起こし、同情する側に、自己をみつめるまなざしの鋭さを失わせると考えたからである。しかし苦しいときに暖かいまなざしを向けられることが、人の心に大きな力を与えることも否定できない。

 そして同情は自己の認識にとってもマイナスに働くだけではなく、自己の認識を深めるきっかけとなることもあるだろう。同情の力について、シベリアの強制収容所ラーゲリで言葉に尽くしがたい苦しみを経験した詩人の石原吉郎が語る二つの逸話をめぐって考えてみよう。

収容所と食事

 石原は、昭和二〇年に敗戦の後、ソ連軍に抑留されて、以後、二五年間の強制収容所生活を送らされた。収容所生活は慢性的な飢餓の状態であり、人間性を喪失してでも、他人を密告してでも、自分の食料を確保しなければならない状態だった。人間としての誇りを抱いていては、とうてい生き延びられないような生活だと言えるだろう。

 石原はあるとき、隣で食事している男が食器を手放して眠り始めたことに驚いた。「食事は、強制収容所においては、苦痛に近いまでの幸福感にあふれた瞬間である。したがって、食事を始めた男が食器を手放して眠りだすということは、わたしには到底考えられないことであったので、驚いてゆさぶってみると彼はすでに死んでいた」[1]のである。

 石原はそれまで多数の死を目撃してきて、死にはすっかり慣れていたが、「すでに中身が流れ去って、皮だけになった林檎をつかんだような触感は、その後ながく私の記憶に残った」[2]と語っている。

一つ目の同情

 アレントは『全体主義の起源』において、収容所でいかにして人間の人格と個性と自我が破壊されるかを詳細に分析しているが、ラーゲリでも俘虜たちは個性も人格も喪失していった。しかし石原はそうした中でも「抑留のすべての期間を通じ、すさまじい平均化の過程のなかで、最初からまったく孤絶したかたちで発想し、行動して」[3]いる人物に出会った。鹿野武一という人物である。

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「過酷な強制収容所で同情が見せた力」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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