「中山元の哲学カフェ」

二度の捕囚を経て宗教的純粋さを追求したユダヤ人

抵抗する[4]――正義について考える【28】

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2011年10月27日(木)

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第一次捕囚

 アンティゴネーは神の掟によって国家の掟に抵抗する論理を提起したが、この神の掟は宗教の掟というよりも、家族の掟であり、古き共同体の掟であった。これにたいして宗教の掟によって国家の掟に明確に抵抗し、民族として滅びかけたのが古代のユダヤである。

 ユダヤ人たちは二つの帝国に二度にわたって捕囚を経験している。最初の捕囚はアッシリア帝国によるものだった。アッシリアのティグラトピレセル王は、紀元前八世紀にメソポタミアを統一し、北王国イスラエルと南王国ユダはアッシリアの属国となっていた。ユダではエルサレムの神殿に、ユダヤ人たちがアッシリアの首都ダマスコスで目撃した祭壇とまったく同じ祭壇を作っていた。そしてユダの王はこの祭壇で実際に朝夕に、捧げ物をしているのである。これはヤハヴェの神だけを祈り、偶像崇拝を禁じていた教えに背くものであり、「アッシリアの国家祭儀の導入を意味する」[1]と考えざるをえないことであった。

 これにたいして北王国のイスラエルはもっと悲惨だった。王ペカの時代に、ガリラヤなどの多数の地方が占領され、アッシリアは「その住民を捕囚としてアッシリアに連れ去った」[2]。やがてホシェアがペカを倒して王になったが、ホシェアは、エジプトを頼りにして、アッシリアへの反逆を企てた。貢納を中止して、属国としての地位を捨てて、独立しようとしたのである。これを知ったアッシリアの王はサマリアにやってきて王をアッシリアにつれてゆき、牢にいれた。最終的には前七二一年頃に、イスラエルを完全に征服し、「イスラエル人を捕らえてアッシリアに連れて行き、ヘラ、ハボル、ゴザン川、メディアの町々に住ませた」[3]

 この最初の捕囚は、イスラエルの人々を各地に散らせて、現地の住民と混淆してしまうものだった。そしてサマリアの地には、アッシリアが征服した他の地域の異民族の人々を入植させた。このような占領・移住政策は、「被征服民の民族性を解体し、主体性も個性も持たない非力な混合体としての被征服民を作りあげる」[4]ためにきわめて効果的なものだった。

 これによってイスラエルの国民は宗教的なアイデンティティを喪失し、民族的な自覚をなくしたのだった。北王国のこれらの部族は、「失われた十部族」[5]と呼ばれるようになる。イエスの頃にはサマリア人はもはやユダヤ人として認識されていない。「善いサマリア人」のたとえでは、サマリア人は異邦人として語られているのである。

 この敗北は、宗教的にはユダヤ王国でのアッシリアの祭儀の導入という宗教的な敗北であり、イスラエル王国では住民のアイデンティティの喪失という民族的な敗北であった。これでもまだユダヤ王国が残ったのが幸いとしか言いようのない状態であった。

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「約束する」「働く」「記憶する」――。会社や家庭での何気ない行為を取りあげて、その哲学的な意味を掘り下げる哲学入門コラムです。哲学と聞くだけで、難しくてわからないと思う人は多いでしょう。でも、このコラムは哲学のそんなイメージをからりと変え、ぐっと身近なものにしてくれます。哲学への広き門に一歩、足を踏み入れてください。あなたと世界のあらたなつながりが見えてくるでしょう。

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