• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

タブーを乗り越えて水族館をつくる

上野動物園水族館、葛西臨海水族園、アクアマリンふくしまの開館と運営

  • 安部 義孝

バックナンバー

2011年11月22日(火)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 上野動物園水族館(1964~1992)、葛西臨海水族園(1989~)、アクアマリンふくしま(2000~)と、筆者はそれぞれ時代を画する3つの水族館の開館と運営に携わりました。上野動物園水族館では一兵卒でしたが未完成で開館したため、19年にわたり改善を重ね完成度を高めることに貢献できました。あとの2つは構想・計画時代からかかわり、建設、開館と運営を経験しました。今回は私の体験に基づいた水族館づくりの実際と運営の工夫についてお話しします。

生きた博物館を目指して・上野動物園水族館

 上野動物園水族館は前身の海水水族館(1954~1963)で蓄積された経験に基づいて計画されました。海水水族館は、東京都心にあって海水浄化設備を備えるわが国最初の施設でもあり、英国人ロイド(1860)が開発したと言われる、循環方式を採用していました。大容量の貯水槽を経て、個々の飼育水槽に配管して循環するものですが、大容量の貯水槽が水質の安定に寄与したと考えられます。やがて、大学や水族館での水質浄化の基礎的な研究によって理論が確立され、新上野動物園水族館計画に結びつきました。

 この水族館は、上野動物園にあって下等動物全般の展示を受け持つ使命がありました。展示はおおむね、4層の建物に、階をのぼるにつれて下等動物から高等動物となる配列になっていました。

 建設時までは「水族は虫類館」と呼ばれており、東京オリンピックを控えて10月に開館しましたが、3階の淡水魚部分と4階のは虫類展示場の全部が未完成で、そのため開館時に「は虫類館」の名前が消えました。数年後には、は虫類展示工事も完了し、全館整備されました。

 開館要員として採用された筆者は、身をもって水族館づくりの実際を体験することとなりました。駆け出しに仕事を任せる度量のある上司にも恵まれ、企画展示や水槽の内装なども含め、てづくりの水族館にのめり込みました。てづくりとなったのは予算がほとんど無かったからでもあります。

 この上野動物園水族館は、わが国で初めては虫類を本格的に展示したこと、積層式密閉濾過槽を採用したことなど、水質浄化理論の確立を背景に、展示や技術開発の場として民間企業の育成にも貢献しました。展示水槽にアクリル板を初めて導入したのもこの水族館です。

 1階エントランスには当時としては最大級の160トンの大水槽があり、イワシや外洋性のサメなど、回遊魚の収集輸送の技術開発の場となりました。2階には備前焼の水槽に金魚を泳がせました。3階は淡水魚や海水魚の汽車窓水槽が長距離列車のように並び、フロアプールもあるメインギャラリーでした。

 4階は両生類は虫類の展示場で、世界の毒蛇やニシキヘビ、ゾウガメにワニ、カメレオンなどなど、は虫類展示としてはわが国で初めての施設でした。

 各動物群から代表種を収集、分類順に展示した水槽や両生類・は虫類展示室の総数は150余り。まさに生きた博物館でした。当時は、コレクションの充実に向けて努力したものです。

コメント0

「海を護る水族館」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

富士山を目標にする人はいつか富士山には登れるでしょうが、エベレストには登れない。

澤田 秀雄 エイチ・アイ・エス会長兼社長、ハウステンボス社長