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アルプス越えの放棄と奴隷叛乱の遺産

抵抗する[9]――正義について考える【33】

2011年12月8日(木)

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アルプス越えの放棄

 さて、イタリア半島を北上したスパルタクス軍は、アルプス越えを前にして、「行動を迅速にするために無用のものを焼き捨て、すべての捕虜を殺し、荷馬車の馬をさえ殺した」[1]と伝えられる。当時は、アルプスはほとんど越えられないものと考えられており、危急の際に武具だけをつけた兵士たちならどうにか山越えできるものとされていた。身軽にならねば、アルプス越えはできないと考えられたのである。

 しかしである。ここでスパルタクス軍はこのようにして身軽になった後で、方針を転換する。この段階でスパルタクス軍の軍会でさかんに討論が行われたらしい。そして結局は、山越えを強行することは中止すると決定されたようである。その理由はいくつか考えられている。

 第一の理由は、この時点で山麓のムティナで、もう九月になっていたことがあげられる。予定よりもはるかに遅れていたのである。九月になると、平地は降雨期が始まり、山地では雪が降り始める。アルプスでは一〇月には吹雪になる。ろくな防寒服を着用しているわけでもない奴隷軍にとっては、吹雪のアルプスを越えるのは至難だろう。

 第二は、南下して、南イタリアに戻れば新たな戦力となる奴隷たちの参加が期待できるし、そこで冬を越せると考えられたからである。あるいは別の理由として、山を越えた後には、もはや軍隊は解散し、奴隷たちの個人行動になるということも挙げられるだろう。これまでの戦の経験からすると、軍隊を分断したり、解散することの危険性が提起されたのかもしれない。

 あるいはスパルタクス軍が大衆的な討論によって方針を決定する組織だったために、ここで決断を下すことができず、アルプス越えができなかったのかもしれない。山の彼方に自由が待っていたはずなのにである。

奴隷王国の思想

 スパルタクス軍が採用したのは、南イタリアに戻って、シチリア島に渡るという方針だった。しばらく前にシチリアでは奴隷の大叛乱が発生していた。前一三九年から前一三一年の第一次シチリア叛乱では、奴隷エウヌスのもとで奴隷国家が設立されていた。これは「奴隷王を頂点として、反乱した奴隷を構成メンバーとする王参事会、人民集会を支配機構とし、その下部機構として都市、主要な生産者たる農民、もと奴隷所有者から転落した〈奴隷〉を被支配者とする奴隷王国だった」[2]

 前一〇四年から前九九年の第二次シチリア叛乱でも、同じような奴隷王国が建国されたが、今回は「都市を占領せず、奴隷大衆が以前の奴隷所有者の土地を共同管理し、さらに農民を支配する形態をとった奴隷王国だった」[3]

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「アルプス越えの放棄と奴隷叛乱の遺産」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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牛島 信 弁護士