「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明」

ハルマゲドンと「グレートリセット」という願望

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2012年1月6日(金)

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 2週間休むと、身も心もすっかり緊張がほぐれる。別世界で暮らしているみたいだ。だから、休暇が終わった後、俗世間に戻ってくるのに難儀する。毎度同じだ。夏休み明けにいきなり登園拒否をはじめて、そのまま中退してしまった幼稚園の頃から、私の基本的な部分は変わっていないのかもしれない。

 本来の私は、別天地に暮らすべく生まれついた人間だ。休みの方に適性がある。とはいえ、働かないと生きていけない。カネの話をしているのではない。働くことが人間を作り、人間の労働が世界を世界たらしめているということだ。だから、私が仕事を始めないと日本の新年が始まらない……と、それぐらいの絵空事を持ってこないと正月というパラレルワールドから帰還するミッションはうまく着地できないわけです。うむ。要らぬ前置きだった。でも、読者には不要でも、私には必要だったのだ。そう思って読み飛ばしてください。ここまではお正月のご挨拶。次の行から2012年の原稿がはじまります。本年もよろしくお願いします。

 大晦日の夜。オウム事件の最後の容疑者の一人、平田信容疑者が警察に出頭した。
 ニュースが配信されると、ツイッターのタイムラインには、平田容疑者の突然の出頭に驚く人々の声で賑わった。

「なぜ今頃出てきたんだ?」
「そんなことより、どうやって逃げおおせていたのでしょうか」

 たしかに、日本中の辻々に手配写真が貼られている環境の中で、180cmを超えるという長身の平田容疑者が、事件以来17年の長きにわたって世間の監視の目を逃れていたのは、不思議といえば不思議な話だ。

 が、私が一番意外の感に打たれたのは、彼が生きていたという事実そのものに対してだった。平田容疑者をはじめとする、オウム事件の残余の逃亡者について、私は、いずれどこかで死んでいるに違いないというふうに判断していた。たぶん、私は、そう考えることで、自分の中のオウム事件に終止符を打とうとしていたのだと思う。このことは、とりもなおさず、オウムについて考えることが、私にとって、重荷になっていたことを意味している。

 オウム事件について考えることをやめたのは、整理がついたからではない。
 逆だ。
 考えても考えてもどうにも整理がつかないから、私はそれを放棄したのである。
 この事件については、ずいぶんたくさんのことを考えた。他人の言説を色々と読んだりもした。でありながら、結局、意味が了解できなかった。だから、オウムについて考えると、いまでも胸のあたりがモヤモヤしてくる。

 私のアタマの中には、考えてもうまく説明のつかない事柄を保管しておくための、倉庫のようなスペースがある。
 その倉庫に納められたブツは、一定の時間が経過すると、焼却炉に移されて、順次消去されることになっている。

 うまくすると、食べ残しの生ゴミが、たい肥に化けることもある。
 が、オウムの記憶は、一向に風化しない。生ゴミのまま、アタマの中で、腐った匂いを立て続けている。つまり私はまだこの事件への執着を失っていないのだ。困ったことだ。謎は忘却によって治癒するしかないのだが、忘れられないものは仕方がない。もう一度考えるほかに対処法がない。

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著者プロフィール

小田嶋 隆(おだじま・たかし)

小田嶋 隆

1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。近著に『人はなぜ学歴にこだわるのか』(光文社知恵の森文庫)、『イン・ヒズ・オウン・サイト』(朝日新聞社)、『9条どうでしょう』(共著、毎日新聞社)、『テレビ標本箱』(中公新書ラクレ)、『サッカーの上の雲』(駒草出版)『1984年のビーンボール』(駒草出版)などがある。 ミシマ社のウェブサイトで「小田嶋隆のコラム道」も連載開始。



このコラムについて

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明

「ピース・オブ・ケイク(a piece of cake)」は、英語のイディオムで、「ケーキの一片」、転じて「たやすいこと」「取るに足らない出来事」「チョロい仕事」ぐらいを意味している(らしい)。当欄は、世間に転がっている言葉を拾い上げて、かぶりつく試みだ。ケーキを食べるみたいに無思慮に、だ。で、咀嚼嚥下消化排泄のうえ栄養になれば上出来、食中毒で倒れるのも、まあ人生の勉強、と、基本的には前のめりの姿勢で臨む所存です。よろしくお願いします。

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