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失われていく福島の“歴史”

歴史的建造物の被害や史料の散逸が相次ぐ

  • 藍原 寛子

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2012年1月11日(水)

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 メリメリッ。バキバキッ。

 福島市花園町の桜の聖母短期大学の隣接敷地で今、大きな音を立てて、重機による木造の建物の取り壊し工事が進められている。その建物は旧ノートルダム修道院(マルグリット・ブールジョワ・センター)。

取り壊しが進む旧ノートルダム修道院(福島市)

 戦前の1932(昭和7)年、カナダから最初の5人のシスターが来日し、35(昭和10)年5月に建物が完成。カナダから建材を運び、キリスト教建築物を手がけたチェコ系建築家ヤン・ヨゼフ・スワガー(1885-1969)の設計により、福島市を代表する洋風の建物として長い間、市民に親しまれた。約10年前に新しい修道院が建設されたため、最近は地域住民の集会や、信者の礼拝、見学などに使われており、今年2012年には、カナダ人シスター来日80年の式典が旧修道院内で予定されていた。ところが、1000年に一度と言われる未曾有の震災が旧修道院を襲った。

 修復には数千万円以上、さらに将来の維持も含めると、億単位の予算が見込まれたことから、所有者である修道会は取り壊しを決定。福島市内でも、代表的な歴史的建造物の一つとして市民に愛された洋風建築物が姿を消すことになった。

取り壊しの経緯を語る今泉修道院長

 かつて旧修道院で生活していた今泉ヒナ子修道院長は「震災前から、いずれ取り壊す方向ではいた。震災後、支援してくださる方から『募金活動をすればお金は工面できる』とも言っていただいたが、これだけ東北全体が痛めつけられたなかで、この建物のためにお金が使われるよりも、その分、多くの被災者の方々に支援が届くことの方が大切。修道会としても、『修道院のためにお金は使えない。今後は子どもたちの教育のために予算を使おう』と決断しました」と、取り壊しに至った経緯を語る。

 実はこの旧修道院、歴史的、文化的な価値が叫ばれていたものの、市や県、国などの文化財には指定・登録されていなかった。そのため、仮に修理する場合、修理費は全額、所有者である修道会の負担になってしまう。県の近代化遺産調査で2010年3月、文化財の指定に向けてリストアップされ、登録への道筋が見え始めていた矢先だったたけに、関係者の間からも残念がる声が聞こえる。

 「震災後、何とか保存してもらえないかと市の担当者と一緒に修道会に伺ったが、決意が固いご様子だった。最も愛着を持っている方のご意向だけに、それ以上、こちらからは保存についてはお願いできなかった」。県教育庁文化財課の大平好一主幹兼副課長は、修道会の意向を理解しつつも、取り壊さざるを得なくなったことを残念がる。

「修道院が市民を戦火から守った」“伝説”が広がる

 旧修道院は、それ自体が福島や日本の歴史を象徴する建物と言っても過言ではない。

 修道会による伝道の拠点となっただけでなく、戦前にはヘレン・ケラーが来日し福島県に立ち寄った際の宿泊場所となった。戦中の42(昭和17)年から終戦の45年まで、インド洋でドイツ海軍の攻撃を受けてだ捕されたイギリスの客船ナンキン号(連合国側)などに乗船していた民間人140人の抑留所として使われた。戦後は、19人の震災孤児がシスターらとともにこの旧修道院で生活を送り、一部の施設は、病院として使われたこともあった。建設以来、多くの慈善事業、地域活動の拠点として使われてきたが、今回の東日本大震災で、被災者に対して建物内に備蓄していた毛布や寝具などを提供したのが「最後の仕事」となった。

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