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民衆のカーニバル的な笑い「風刺」

笑う[3]

2012年1月26日(木)

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ディオゲネスの風刺

 さて、背後に哄笑を響かせるソクラテス的な対話は、後期のプラトンの描くかなり真面目なソクラテスの対話とはかなり異質なものなのであるが、このソクラテスの伝統をついだのが、キュニコス派のディオゲネスだった。

 ディオゲネスは住む家ももたず、市場に暮らし、人々と対話をしたが、この対話はもはや相手に自己の吟味を迫るような思考における対話ではなく、そのまま彼が演じる劇としての対話である。

 いくつもの有名な挿話がある。たとえば「ある人が彼を豪奢な邸宅に案内して、ここでは唾を吐かないようにと注意したら、彼は咳払いをひとつしてから、その人の顔面に啖を吐きかけて、もっと汚い場所がみつからなかったから、と言ったのだった」[1]。ここには豪奢な住宅を自慢するという行為のくだらなさが、相手の顔に唾を吐くという一つの行為にそのまま劇化されている。どんな言葉で表現するよりも、そのメッセージは強烈に伝わる。

 また別の挿話では、「彼が公衆浴場から出てきた時、人は多かったかねと訊いた者には、彼は〈いな〉と答えたが、混んでいたかねと訊した者には〈しかり〉と答えた」[2]。これは「彼は白昼にランプに火をともして、〈ぼくは人間を探しているのだ〉と言った」[3]というニーチェが好んだテーマである。人間のほんとうのありかたを忘れてしまって、人間の格好だけをしている者しかいないというメッセージを、具体的な行動で、哄笑のうちに伝えるのである。

 こうしたキュニコス派の戦略は、ソクラテス的なイロニーとは明確に異なるものとなっている。彼らは市場(アゴラ)で暮らしながら、演劇的な身振りのうちに、人々の生き方のもつ矛盾を自分たちと相手の姿のうちにありありと描きだす。ソクラテスのイロニーは、相手に自分は智恵者であるという誤った思い込みを気づかせ、自己の吟味を促すものだった。

 キュニコス派ではもっと攻撃的に世間のありかたを風刺する傾向が強くなっている。この時代にはイロニーよりも風刺(サタイヤ)が主流である。ブリタニカによると風刺は「個人の愚行、政治の欠陥、社会の罪悪などにたいする批判や攻撃を、機知に富んだ皮肉、嘲り、あてこすりなど形で表現」することだからだ。キュニコス派は、人々に嘲られるような振る舞いをしながら、その嘲った人を嘲り返すのである。

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「民衆のカーニバル的な笑い「風刺」」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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