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「笑うはこれ人間の本性なればなり」

笑う[4]

2012年2月2日(木)

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民衆の笑いの文化

 さてこのようにギリシアの小説の世界では、笑いは物語を推進させる大きな役割をはたしていた。ルネサンスの小説家のラブレーは、ソクラテスの笑いを『ガルガンチュワ物語』の冒頭であげて、それにならうことを宣言している。ソクラテスは「立ち居ふるまいは滑稽、……一切の国家公共の責務に適せず、つねに笑いこけ、つねに誰とでも酒を酌み交わし、つねに嘲り笑って、つねにその神々しい智恵を隠していた」[1]と。

 ラブレーは、「笑うはこれ人間の本性なればなり」[2]と断言して、この物語では「笑うを措きては全きものをここに学ぶこと僅かならむ」と宣言するのだった。ラブレーの笑いは、後の時代の「高級な」笑いではなくその時代の民衆の笑いそのままである。ラブレーの笑いを分析したバフチンが語るように、古代から中世にかけて、物語の自由な土台となり、土壌となったのは、「民衆的な笑いの文化」[3]なのであり、この笑いの文化の解体のはてに、近代のさまざまな笑いの形態が登場するのである。

 バフチンはこの民衆の笑いの文化は大きくわけて三つの形態をとったと考えている。第一が儀式的・見せ物的な形式であり、カーニバル型の祝祭である。第二が滑稽な文学作品であり、メニッペアはそれが文学形式に定式化されたものである。第三が「さまざまな形式やジャンルの無遠慮で粗野な広場の言葉」[4]である。この広場の言葉とは、たとえば誓いの言葉や呪いの言葉なのであり、ラブレーの作品にも多量に登場する。前回はメニッペアで第二の笑いについて考察したので、今回は第一のカーニバルの笑いと、第三の呪いの言葉を検討しみよう。

カーニバルの特徴

 カーニバルは民間の祝祭である。この祝祭にはさまざまな笑いの種が隠されており、いわば笑いの宝庫のようなものである。一八世紀になってからだが、中世からほとんどそのまま受け継がれてきたローマのカーニバルを目撃したゲーテの貴重な証言から、カーニバルの特徴をまとめてみよう。

 第一に、これが民衆の祭であることである。「ローマのカーニバルは元来民衆のために他の手によって催される祭ではなく、民衆自身がみずから催す祭である。国家はこの祭のためにほとんど何の設備もせず、費用も支出しない。歓喜に満ちた連中がおのずから動きだし、警察はその連中をただ寛大に取り締まるだけである」[5]

 第二に、この祭は民衆が自発的に、国家の干渉なしに、自由な発意でもって催す祭であることから、さまざまな思い付きが自由に展開される。カーニバルでは人々のどんな突飛な思い付きも歓迎され、観衆もまたこれに参加してくる。この祭は、ただ眺めるものではなく、すべての人が参加する祭であり、参加をなかば強制される祭である。その場に居合わせるだけで、もはや祭の一員なのである。

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「「笑うはこれ人間の本性なればなり」」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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