「フクシマの視点」

計画的避難区域の川内村が初の「帰村宣言」

「戻りたい」「戻れない」村民の反応さまざま

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2012年2月8日(水)

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 福島第一原発から20〜30キロメートル圏内に位置し、ほとんどの村民が村外で避難生活を送っている川内村の遠藤雄幸村長は1月31日、「帰村宣言」を行った。現在、郡山市に置かれている村役場を4月から、元来あった村内に戻し、村の小中学校なども再開する――という内容で、原発事故で避難した県内9町村では初めての「帰村宣言」になった。

 現在、村は一部が警戒区域、そして大部分が計画的避難区域に指定され、250人ほどが村内で生活している。新聞記者当時、取材だけでなく、友人を訪ねて何度も通った川内村は、今どうなっているのだろうか。「帰村宣言」の翌々日の2月2日、村を訪ねた。

無理に戻ってと言うわけではない

 福島市の福島西インターチェンジから東北自動車道に入り、磐越自動車道へ。船引三春インターチェンジで一般道に降り、国道288号から国道399号、田村市船引町や同市都路を抜ける山沿いの国道を川内村に入った。都路までは車の往来もあったが、川内村に入ると、通行する車が激減。除雪されていない路面もあり、タイヤが雪の轍(わだち)とアイスバーンを踏み越えてスリップしないよう気を付けて走りながら、村の中心部に入った。郵便局や交番があるメーンストリートは除雪されて路面に雪はない。何台か、すれ違う車両は、トラックやバンばかりで、運転手も助手席に乗った人も、マスクを着用している人が多い。除染関係の車両だろうか。

 ほとんど車通りのないメーンストリートを、杖をついた高齢の男性がゆっくりと歩いている。そして民家で飼われているのだろう、ネコが数匹、道路を横切っていく。

 人気のない川内小学校、村役場などを回った後、川内中学校へ。村内はほとんど人影がなかったが、中学校の体育館のガラスに何やら動くものが見えた。体育館の中に入ると、村の女性らによる除染作業が行われていた。除染事業を請け負った事業所が村の人を雇用して、公共施設の除染を急ピッチで進めているのだという。作業に当たっている人はみな、白い防護服に手袋、マスクをしている。体育館の隅に大型のヒーターがあるが、女性たちは窓際の寒い場所での作業を続けていた。

 放射性物質を取ることができる黄色のクロスで、体育館のギャラリーの手すりや床を丁寧に拭いていた一人、嶋田成子さんは、「少しでも、子どもたちが帰ってきやすいよう、こうやって除染しています。実際に帰ってくるかどうかは分からないけれど、私たちが除染することで安心してもらえたら」と話す。震災前、1歳半と小学校3年生の2人の孫と生活していた嶋田さんだったが、震災後は、放射能の影響が心配なため、娘夫婦は孫と一緒に埼玉に避難してしまった。「やっぱり孫に会いたい」という。

 遠藤村長に、「帰村宣言」に至った理由を聞いた。大きな理由は、

(1)川内村の屋外放射線測定量は、多くの住民が現在避難している郡山市よりも低い(郡山市が0.6〜0.8マイクロシーベルトなのに対して、川内村の計画的避難区域など線量の低いところは0.2〜0.3マイクロシーベルト)
(2)公共施設の除染は進んでおり、ほぼ終盤に入った
(3)高齢者の中に、現在の避難生活で疲弊している人々がいる。仮設生活が2年もしくは延長されて3年と限定的で不安がある。住み慣れない地域に生活して、都市部の生活や新しい仮設での人間関係に慣れなかったり、行動範囲が狭くて体調を崩す人もいる
(4)高齢者への医療や福祉サービス、日常生活支援を図る。例えばデイサービスやサポートセンターなど福祉施設は社会福祉協議会が運営し、4月以降は都市部へのバスも走らせる。日用品や食料については、村内の商店の営業や移動販売なども検討中
(5)あくまでも「帰村宣言」は、帰村という選択肢を増やしたまでで、全員に強制はしていない。戻ってきた人に対しては十分なサポートをする
――などだ。

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著者プロフィール

藍原 寛子(あいはら・ひろこ)

藍原 寛子フリーランスの医療ジャーナリスト。福島県福島市生まれ。福島民友新聞社で取材記者兼デスクをした後、国会議員公設秘書を経て、現在、取材活動をしている。米国マイアミ大学メディカルスクール客員研究員として米国の移植医療を学んだ後、フィリピン大学哲学科客員研究員、アテネオ・デ・マニラ大学フィリピン文化研究所客員研究員として、フィリピンの臓器売買のブローケージシステムを調査した。現在は福島を拠点に、東日本大震災を取材、報道している。フルブライター、東京大学医療政策人材養成講座4期生、日本医学ジャーナリスト協会員。



このコラムについて

フクシマの視点

東日本大震災は、多数の人命を奪い、社会資本、自然環境を破壊したが、同時に市民社会、環境、教育、経済、政治や行政など、各分野に巨大なパラダイム・シフトを起こしている。我が国はどのような社会を志向していこうとしているのか。また志向していくべきなのか。「原発震災」で、社会の姿が大きく変わりつつある福島、震災のフロントラインで生きる人々の姿から、私たちの社会のありようをグローカル(グローバル+ローカル)な視点で考える。

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