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嘲笑された「女房に殴られる亭主」

笑う[5]

2012年2月9日(木)

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民衆の祝祭の性格

 カーニバルはこのように、民衆の祝祭として、重要な笑いの場であった。この笑いがどこからくるのかは、興味深いところである。そもそも祝祭は、日常の生活とは断絶した特殊な場として催されるものであり、そこにおける笑いには、特別な意味があるはずだからだ。

 祝祭が祝祭であるのは、そこに公的な意味があるからである。ローマ時代に皇帝の「カエサルが催し、祝った祝祭は、カエサルの権力の意味そのものだった。皇帝から発散される幸福が、群衆の熱意を生んだのである」[1]。この祝祭は私的なものではなく、多数者のために光を放つべきなのである」[2]

 この祝祭はキリスト教の時代に入ると、キリスト教の教義のもとに公的な意味をおびた祝典として開かれるようになる。公式の祝典は、「既存の世界秩序の安定性、不変性、永遠性を確認すること」[3]を目的として催される。祝典を祝う教会の栄誉は、その教会のもたらす真理と救いを輝かすものとなり、民衆の手を離れる。

 この祝典はひたすら厳粛なものとなり、「笑いの原理はその本性には異質なもの」[4]となる。そのためキリスト教の祝典は、「人間の祝祭性の真の本性に背き、それをゆがめた」[5]のである。しかしこの真の祝祭性は根絶することはできなかったために、それは「民衆の広場に譲り渡され」[6]、カーニバルとしてうけつがれたのである。カーニバルはキリスト教の祝典であるよりも、もっと異教的な民衆の伝統に根づいた祝祭と言えるだろう。

カーニバルと祝典

 この観点からみると、キリスト教の教会の祝典とカーニバルは実に対照的である。キリスト教の祝典は、既存の階層秩序、既存の宗教的、政治的、道徳的な規範を確立し、それに反することを禁じる厳しい秩序のもとで開催される。笑いの入る余地もない。これにたいしてカーニバルはこうした階層秩序からの一時的な解放であり、転倒である。道化が王になり、女性が男性になり、高い身分のものが低い身分のものに笑いとばされる。

 「ときの秩序」という観点からみると、祝祭は過去のときを祝うものである。「公式の祝祭は過去のみをみており、この過去を使って、現に存在する機構を真正なものとした」[7]。これにたいしてカーニバルは、こうした過去の秩序を転倒することで、「完成されることのない未来」[8]、新しい秩序の予感を示すものである。

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「嘲笑された「女房に殴られる亭主」」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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