先日、もうひとりの管理人Yさんと「そういえば『かわずくん』ってそろそろ一年じゃない?」「えっそうでしたっけ?」という会話が…何と、2011年2月1日開始でした! 気付くの遅いわ! てかあっという間! ドッグイヤーならぬ、フロッグイヤーでございます。みなさま、この風変わりな連載への投句や応援、感想、disりなどなど、日ごろのご愛顧ありがとうございます。
この機会に「いったいなんで経済系ニュースサイトに俳句の連載が載っているんだろう…」という疑問に、答えを見つけてみてはいかがでしょう。電子書籍『ビジネスパーソンのための俳句入門』、大手電子書籍販売サイトで絶賛発売中でございます。当連載の筆者、千堀こと千野帽子&堀本裕樹の俳句解説、イトウエルマさんの句会入門体験漫画、そして、千堀に長嶋有さん、米光一成さんが参加して開催した伝説の公開句会「東京マッハ」第一回の模様も完全収録。俳句ってこんなに新しくて面白いんだ、と、感じて頂けること請け合いです。
ささ、気持ちも新たに、今週は堀やん先生の選句物語ですよ!
堀本裕樹(以下堀):自由律俳人、尾崎放哉(おざきほうさい、本名は尾崎秀雄)の生涯を書いた小説があるんですよ。
連載管理人A(以下A):「咳をしても一人」の作者の方ですね?
堀:そうです。吉村昭著『海も暮れきる』というんですが、放哉が香川県小豆島へ渡ってからそこの小さな庵で死を迎えるまでを吉村さんらしい抑制の効いた文体と詳細な資料に基づいて書かれています。
A:吉村昭は、話題になった『三陸海岸大津波』で私も読みました。それで、尾崎放哉は何のために小豆島に行ったのでしょうか?
堀:放哉は明治十八年生まれで東京帝国大学法学部を卒業し、東洋生命保険会社に就職。そこを辞した後、朝鮮海上火災保険株式会社に就職し支配人として京城府(現在のソウル特別市)に赴任しますが、結局、放哉のいつも悪い癖である酒に溺れての失敗を繰り返してしまいます。その後は寺男や堂守を転々とし、最後に辿り着いたのが小豆島の南郷庵。放哉は俳人仲間をはじめ、周りの人たちに金を無心しながら暮らし、最後は結核でやせ衰えてこの世から去ります。
A:超エリートの転落人生! って感じですね。
堀:放哉の例にもれず、本質的に俳人なんてものは、そもそも社会から逸脱した「無用の長物」という認識が個人的に少なからずあるので、放哉のこの壮絶な落ちぶれようと一途に俳句に賭けた人生を見ていると、身につまされるというか、我が身を省みるに充分過ぎるくらいで、また手痛い行く末までも暗示されているようで、なんともいえない気持ちにさせられてしまいますね。
A:階段落ちも高いところからのほうが映えますしねぇ。
堀:そうやねぇ、数十メートルの階段落ちるのは命がけやしねぇ…って、そりゃ「蒲田行進曲」やん! 誰がヤスやねん! いま話してるのは放哉の話やっちゅうねん。
A:失礼いたしましたー。
堀:こほん。放哉終焉の地・小豆島は、オリーブが特産なので、なんとなく暖かいイメージがあるのですが、島の冬は北風が強く、なかなか厳しいようです。
残雪に雪ふる
雪やみし野にてたそがれ
小さい島にすみ島の雪
など、雪の句も放哉はいくつか残しています。
A:今回の投句のなかでも雪の句がありましたよ。
音がない雪降る朝のエノコログサ
みゃの
エノコログサに朝の雪が降る風景ですね。
堀:風景の一コマとしてはよくわかるのですが、しかしいくつか注意点があります。
(次ページに続く!)
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