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「おや、今週も幸先がいいぞ」と呟いた死刑囚のユーモア

2012年3月15日(木)

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ソクラテスとドン・キホーテの違い

 それではソクラテスとドン・キホーテの違いはどのようなものだろうか。その最大の違いは、相手にたいする姿勢の違いにある。ソクラテスは対話の相手の無知を暴いて、相手に自分の無知を自覚させ、同時に、これまで自分の生き方について真剣に配慮してこなかったことを自覚させ、それによって相手の生き方を変えようとする教育的な態度をとっていた。

 しかしドン・キホーテにはそのような教育的な姿勢はない。ドン・キホーテはあくまでも仮面をかぶった道化として、自分の装った愚かしさによって相手の笑いを誘おうとする。これは教育的な配慮とは正反対であり、道化は相手に真の自己のありかたを認識させることを目指すことはない。ただ、相手からみた自己の姿の愚かしさを、相手とともに笑おうとするのである。

 ドン・キホーテの世界では、中世の民衆的な伝統に従って、笑いには価値がある。ともに笑うことは、大いなる価値のあることなのである。ドン・キホーテは道化の役割のもとで、人々に笑いを提供し、みずからを笑う。ドン・キホーテを狂気の人間とみなして笑う宿屋の主人とともに、ドン・キホーテはみずからの姿を茶化して、相手の笑いをともに笑う。

ユーモア

 このみずからを笑いのめす笑いは、ユーモアとしての笑いと言えるだろう。ソクラテスに代表されるアイロニーと、このドン・キホーテのようなユーモアはしばしば対立的に考えられる。どちらも、超越したまなざしから自己を眺めて、自己の卑小さをみずから笑うという特徴がある。この超越したまなざしという点ではこの二つの笑いは共通する。

 しかしすでに考察したアイロニーの笑いでは、その超越したところから自己をみつめるまなざしは冷徹であり、客観的であり、ある意味では否定的である。超越したところからみたときに、自己の卑小さが実感されて笑うのである。あるいは他人が、その人物をみて、高いところからその低さを指摘して笑うのである。

 これにたいしてユーモアのまなざしにはある暖かさがある。自己の卑小さを笑うのだとしても、意図的に自己を他人よりも低い位置において、他人と一緒になって自己を笑う。しかしその笑いは穏やかであり、客観的でありながらも、笑われている人物とともになって肯定的に笑うのである。

死刑囚のユーモア

 ここでアイロニーと異なるユーモアの笑いのメカニズムを調べるために、フロイトがあげた有名な死刑囚のユーモアを調べてみよう。この死刑囚は、月曜日に死刑の執行を迎えることになった。絞首台に向かいながら、彼は「おや、今週も幸先がいいぞ」[1]と呟いたのである。これがユーモアであることは、このまなざしが彼の一身にとっての一大事である死刑の執行について、自分を超越した他者のまなざしから眺めながら、自分を冷たく突き放すのではなくやさしく保護していることからも明らかだろう。このユーモアによってこの死刑囚は、死におびえながらではなく、朗らかな姿勢で、死を迎えることができるのである。

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「「おや、今週も幸先がいいぞ」と呟いた死刑囚のユーモア」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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