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あの夜、軍用機で日本から避難した

震災から1年、パリで暮らす福島県人の想い

  • 藍原 寛子

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2012年3月21日(水)

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 「日本を離れてフランスに避難するかどうかは、本当に難しい問題でした。しかもこの大事な問題を短時間で決断しなければならなかった。自分でも知らない間に疲れやストレスがたまっていたのだと思います。フランス軍の軍用機でほかの家族とともに大阪を発って中継地のソウルに向かう間、機内で友人と一緒にワンワン泣いてしまいました」

 東日本大震災当日まで三春町で暮らしていたボアグリオ治子さん(44)は、フランス政府が手配した軍用機でパリへ避難した1年前の3月18日の出来事をそう振り返る。治子さんは現在、フランス人の夫のダミアンさん(34)、娘の陶子ちゃん(4)とともに、パリ郊外のダミアンさんの実家で、ダミアンさんの父母と一緒に生活を送っている。治子さんは日本語とフランス語の通訳をしたり、フランス各地で福島の現状などについて講演をしている。ダミアンさんは震災当時まで三春町教育委員会の英語指導助手だったが、パリに避難した後、エンジニアの仕事を得た。

 パリで治子さんに避難当時の様子と現在の生活、福島への想いを聞いた。

「子どもがいるから避難した方がいい」アドバイス受け避難

福島県三春町からパリに避難したボアグリオ治子さん

 震災の当日、治子さんは陶子ちゃんを連れて、郡山市の美容室にいた。髪を切ってもらっていると、グラグラっと揺れが来た。建物の外に出ると、周囲の建物の瓦が落ちたり、ガラスが割れて、陶子ちゃんも泣き出してしまった。

 「とにかく家に帰ろう」

 郡山から移動する間、「原発は大丈夫だろうか」、そんな思いが頭をよぎった。治子さんはそれまで、同じ三春町の武藤類子さん(ハイロアクション福島)と一緒に、原発問題について勉強しており、大きな地震に遭遇して、真っ先に原発のことが頭に浮かんだという。

 自宅に戻り、夕方になって武藤さんに連絡すると、電話が一度だけ通じた。武藤さんから、「何が起こるか分からない。小さい子どもがいるのだから、いつでも避難できる準備をしておいた方がいい」とアドバイスを受けた。治子さんはすぐ、貴重品や身の回りのもの、陶子ちゃんのおむつなどを車に積んで、いざというときに逃げられるように準備していた。

 夕食を食べていた午後8時30分過ぎ、突然武藤さんが訪ねてきた。

 「原発が電源喪失して、冷却装置が動かせない事態になっている。とても危険な状態で、このままだと放射能が外に出ることが考えられる。今晩のうちに会津の方に逃げた方がいい」。すでに一帯は電話が通じなくなっており、武藤さんはそのことを言うために、わざわざ訪ねてきたのだった。

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