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まだ女性に愛されると確かめたかったリアの自己愛

笑う[15]~シェイクスピア『リア王』

2012年4月19日(木)

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リアの第一の愚かしさ

 最後に、リアがどのようにしてみずからの道化としてのありかたを自覚してゆくかを考察しておこう。リアは自分がどの娘にどの領地を与えるかという「娘選び」の場で、三つの大きな愚かしさを犯している。そして自分が道化のような愚かしいふるまいをしているのに、そのことを自覚していないのだ。

 第一に、娘たちを結婚させて、それぞれに領地を分け与え、自分はまったく権力も領地もなしに、百人の騎士たちとともに娘たちの領地を順に巡回するという決定は、愚かしいものであった。まともな常識をもっている人間ならそのようなことを決めはしないだろう。このリアを諫めなかったことで、忠臣のケントも同罪である。

娘の愛についての三つの盲信

 リアがこの決定を下したのは、リアは娘の愛について、三つの盲信を抱いていたためである。まずリアは、自分の娘たちが自分を愛していることを盲目的に信じていた。そして自分を愛している娘であれば、親を粗末に扱いはしないだろうと考えた。「愛は愛する者を大切に扱わせる」、これが娘の愛についてのリアの第一の盲信だった。

 リアがこのように考えていたのは、領地を与えるための条件として、自分をどれほど愛しているかという告白を求めたことからも明らかである。愛するという言葉が、愛するという行為を伴うと信じること、愛すると語ることは心の中の真の愛の現れだと信じること、「愛の言葉は愛の現れである」、これがリアの第二の盲信だった。

 さらにリアは、父親を愛していると語る者が、父親に忠実に仕えると信じ、愛していると語らない者は、父親を粗末に扱うと信じた。愛すると語らない者こそが、父親に仕える者である可能性を考えることができなかった。「愛の言葉は、愛の行為を伴う」、これが娘の愛についてのリアの第三の盲信である。

コーディリアの指摘

 このリアの三つの盲信を、コーディリアは気づいている。「コーディリアは何と言おう。孝行はするが、黙っていよう」[1]という言葉は、第三の盲信の愚かしさを指摘している。「心にもないことをへらへらと口先だけでうまくしゃべれない」[2]という言葉は、第二の盲信の愚かしさを指摘している。「いったん心掛けたことは、言うよりも、さきに行うつもりでいる」[3]という言葉も、第二の盲信の誤謬をその反対側から言い直したものである。

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「まだ女性に愛されると確かめたかったリアの自己愛」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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