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機械的で滑稽な生き方を自覚させる喜劇

笑う[19]――笑いの矯正機能

2012年5月24日(木)

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エラン・ヴィタル

 すでに考察してきたように、ベルクソンは、人間のうちにほんらいあるべきでない機械的なものがみいだされるときに人々は笑うのだと考えた。ぼくはベルクソンの笑いの分析は同一性と差異と枠組みという笑いのメカニズムのうちに組み込むことができると考えた。ベルクソンが重視した機械的なものは、このメカニズムでもっと広い形で説明できると思うからである。しかしベルクソンが機械的なものにこだわるには十分な理由がある。人間が機械的な動作をするのは、ほんらいあるべき生き方をしていないからだと考えるのである。

 ベルクソンは、生においてぼくたちは事物と直接に触れあうことが何よりも大切だと考えるし、そうすることができるはずだと考える。「現実が直接にわれわれの感覚および意識を打ちにやってくるものなら、もしわれわれが事物とわれわれ自身と直接のコミュニケーションに入りうるものなら」[1]、それは素晴らしいことだろうと指摘する。そのときには「われわれの精神が絶えず自然と調子をあわせて振動する」[2]ことだろう。そしてぼくたちは通りすがりの人間の姿を一瞥しただけで、「人体という生きた大理石に刻まれている古代の彫像のそれにも劣らない美しい彫像の断片を観取するであろう」[3]

 ぼくたちは歩きながら、人体の美しさに、夕暮れの空の雲の色彩の無限のヴァリエーションに、樹木の葉の葉脈の巧みさに、鳥の声の絶妙な節回しに、感動しつづけることだろう。それが自然とのほんらいのコミュニケーションのありかただろう。たしかに散歩しながらそんな経験をしている人はめったにいないだろう。しかしぼくたちは自分自身のごく稀な経験に基づいて、自然とのそのようなコミュニケーションが不可能ではなく、実際にありうるものであることを知っている。

 たとえば空の雲の色どりの美しさに、いいようもなく感動した経験があるからだ。鳥の鳴き声に「われわれの内的な生命の不断の調べが歌われているのを」[4]聞き取った経験があるからだ。日々の生のうちに、躍動する生の一瞬、エラン・ヴィタル(生の躍動)を感じとった経験があるからだ。あるいは他者との間で生き生きと心を通わせたことがあるからだ。ただ、ぼくたちの日常の生活のリズムが、それをつづけることを許さないのである。

自然との間の〈帳〉

 ベルクソンはこのことをもっと一般化して考える。人間がこのように毎日、毎時のように感動して生きていたのでは、生活をつづけるのは困難になるだろう。「生活するということは、行為するということである。生活するとは、物にたいして適切な反作用で応じるために、物からは有用な印象のみをうけとることである」[5]からだ。

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「機械的で滑稽な生き方を自覚させる喜劇」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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