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タイラーの叛乱とボールの説教

抵抗する[18]

2012年8月30日(木)

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中世のイギリスの農村事情

 さて中世の日本には、まだまだ興味深い抵抗の源泉があるが、それについてはいずれもう一度考えてみることにして、ここではひとたび日本を離れて、中世のヨーロッパを訪れてみよう。一四世紀から一五世紀にかけて、中世のヨーロッパもまた農民叛乱で揺れたのである。

 その代表的なものが、一三八一年のイギリスのワット・タイラーの乱だろう。この叛乱の意味を考えるためには、当時のイギリスの農村の状況を調べてみる必要がある。この時代は、イギリスにおいて農村の経営が発展すると同時に、農奴制が確立されるという逆説的な時代だった。

 中世のイングランドは、農村がほとんどを占め、「都市はこの農村の海に点在する島のような存在だった」[1]。シトー会修道院を中心として開墾と大農場経営が進展し、農村からは人があふれて都市が発達し、羊毛産業が発展してきた。この大農場で働くようになったのは農奴で、この隷属的な身分が確立したのは一二世紀になってからのことである。

 一三世紀には「有輪犂の使用、集村化と三圃制の採用、繋駕法の改良」[2]などの技術革新が進んだが、一四世紀に入ると、飢饉が多発するようになった。さらに一三四八年~一三五〇年のペストによって、農民人口が減少し、それまでの荘園制度の経営は維持できなくなった。地代は低下し、農民は高い賃金を要求し、認められないと逃散して抵抗した。

 これにたいして中央政府は、労働者規制法を施行して農民の抵抗を押さえようとした。これらの法令は、農民がその属する荘園を離れて職業を変えること、高い日雇い賃金を要求すること、手工業者が高い工賃をとることなどを禁じるものであり、この法令を施行するために一三六一年には治安判事が誕生した。これは地方の有力者にその土地の裁判権と警察権を与えるものであった。「このように労働者規制法は、領主層のなかから選任された役人によって執行されたから、いわば国家権力によって強行される賦役農奴制のごとき様相を呈し、それだけ政府は農民たちの怨嗟の的となった」[3]のだった。

農奴制

 フランスでは一二、一三世紀に同じように農業の技術革新が進んで、農民が解放されていた。「一三〇〇年頃、フランス農民の大部分は、土地保有農となった。かれらは、なお土地領主に雇われていたが、人格的には自由で、農奴性に固有な法的な無能力とか、金銭上の負担からは免除されている」[4]のだった。

 これに対してイングランドでは、隷農(ヴィレン)と呼ばれる農奴が大多数だった。農奴は経済的にも人格的にも領主に隷属した。人頭税を呼ばれる税金を支払い、許可なく土地を離れることができず、許可なく娘を結婚させることができなかった。農奴が死ぬと、その動産は領主の財産とみなされ、「最良の家畜、最良の衣服、ときには最良の道具を納めた後でなければ、相続人の手には渡らなかった」[5]。これが「死亡税」という、言葉の意味からはなかなか理解しがたい税金である。なにしろ、死ぬにも税金がいるのである。

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「タイラーの叛乱とボールの説教」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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澤田 秀雄 エイチ・アイ・エス会長兼社長、ハウステンボス社長