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「86」を遅いスポーツカーにしたいって、そんな企画通るはずがないだろう

第163回:トヨタ 86 【開発者インタビュー編 その2】

2012年10月1日(月)

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 みなさまごきげんよう。

 フェルディナント・ヤマグチでございます。

 今回は実験的に完全ヨタ話ゼロでお送りします。

 ヨタをご所望の方はwebGQをご覧ください。あちらは全編ヨタです故。

 2007年1月。当時国内営業の最高責任者だった豊田章男氏の(いささか強引な)バックアップもあり、ともかく“あのトヨタ自動車”でスポーツカーの開発を再開することが決定した。この年は小型軽量のエンジンをミッドに積んだ、トヨタ最後の2ドアスポーツカー、「MR-S」が生産中止になった年でもある。因みにMR-Sの2006年の生産台数は僅か1000台弱。トヨタの中で、スポーツカーは最早“オワコン”に成り果てていた。

 開発再開が決まったのは良いが、肝心の“中身”が決まっていない。大きさ、スペック、価格帯……。“スポーツカー”ということ以外に、具体的な内容は何一つ決まっていなかったのだ。

 「ウィッシュ」の開発から一本釣りされ、悲願のスポーツカー開発に抜擢された多田哲哉氏。開発を指示されるや、興奮して担当役員に対し矢継ぎ早に質問する。「エンジンはどれを使いましょう。レイアウトはFRですか、価格帯はどのあたりを?」。

 対する役員氏の回答は、“あのトヨタ”らしからぬ極めて大雑把なものだった。「あ、多田くんね。まだ何も決まってないので、その辺は君が全部決めて」。

 ここからが地獄の一丁目。前回に引き続き、86のチーフエンジニア、正式にはスポーツ車両統括部ZR チーフエンジニア、多田哲哉氏の、文字通り徒手空拳の戦いが始まった。

トヨタが久々に放ったスポーツカー 86

*   *   *

F:スポーツカーの開発が決定してから、多田さんはマツダで「ロードスター」を開発した貴島(孝雄)さんに会いに行かれた、と伺いました。それは本当ですか。

多田(以下、多):ええ本当です。ホントに会いに行きました。大きな自動車会社でスポーツカーの企画を通すにはどうしたら良いのか、教えてもらいに行ったんです。

F:へえ、その頃は資本関係も何もない、いわばライバル関係の会社だったでしょうに。

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「「86」を遅いスポーツカーにしたいって、そんな企画通るはずがないだろう」の著者

フェル

フェル(ふぇるでぃなんと・やまぐち)

コラムニスト

堅気のリーマン稼業の傍ら、細々と物書きの真似事をしております。最近は講演やらテレビ・ラジオへの出演も増えてきました。いったい本業は何なのか自分でもよく分からなくなっています。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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