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ボヘミアのフス戦争と聖杯派

抵抗する[24]

2012年10月11日(木)

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フス戦争の特徴

 これまでほぼ同時期に発生した三つの民衆叛乱を比較しながら調べてきた。そのうちで民衆暴動ではなく、民衆革命という性格を帯びていたのは、イギリスの農民一揆とチオンピの乱である。またチオンビの乱とは違ってイギリスのワット・タイラーの乱は、ジョン・ボールの演説からも明らかなように、ある種の宗教改革的な要素を兼ね備えていた。

 この二つの要素を兼ね備えていた別の民衆叛乱が中欧で発生した。ボヘミアで起きたフス戦争である。この戦争はたんに宗教改革的な要素を「兼ね備えていた」だけではなく、真の意味での宗教的な改革を求めた民衆の蜂起だったことに注目したい。人々は自由な信仰の自由を求めてカトリック教会に抵抗したが、それが国をあげての抵抗になったのである。

プラハ大学

 きっかけとなったのは、ボヘミアの国王カールが、ドイツ国王に選出され、王がプラハに新たな大学を設立したことだった。当時のボヘミアは、神聖ローマ帝国の七つの選挙侯の一つとしてドイツでも有力な国だったが、チェコのクトナ・ホラ銀山を初めとする鉱山から多量の銀が産出し、国家は潤っていた。そして一三四四年にはプラハの司教座が大司教座に格上げされ、一三四八年にプラハに大学が建てられた。プラハは帝国の首都になる可能性を秘めていたのである。

 これによって国は豊かになったが、いくつかの弊害があった。都市においてドイツ商人が大きな勢力を握り、教会が豊かになり、物価が高騰して大衆の生活が苦しくなっていた。特に農民の搾取が強化され、貨幣納税が大きな負担となっていた。そのため特異年だった一三八一年頃にも、いくつかの労働者の叛乱が発生していた。

 そんなおりに大学の内部で争いが発生した。ドイツ人とチェコ人が、哲学論争と、キリスト教の教義と、聖職禄をめぐって争ったのである。パリからやってきた教授陣は、唯名論を唱えていた。かれらはドイツ人やポーランド人であり、大学の四つの「国民」のうちの三つを占めていた。「国民」は大学の教師や学生たちを組織する象徴的な集団で、大学はこの「国民」単位で運営されていたのである。

 これにたいしてチェコ人たちは「ボヘミア」国民として組織されており、イギリス流の実在論を信奉していた。チェコ人たちは、イギリスのウィクリフの影響で、この実在論を信奉するようになったのである。中でも説教師のフスは、この実在論のもとで、ウィクリフとそっくりな教会論を展開して、人々の人気を集めていた。

 実在論と唯名論の対立は、中世の普遍論争として、有名な哲学論争だったが、実は重要な宗教的な意味あいをそなえていた。唯名論は、概念というものはただ名前だけのものであり、実在するものがすべてであると主張する。実在論は、概念は名前だけでなく、実在するものだと主張する。

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「ボヘミアのフス戦争と聖杯派」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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