• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

少年はどのように嫉妬を克服したか

嫉妬する[3]――フロイトの孫の三つの遊戯

2012年11月8日(木)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

エルンストル少年の糸巻遊びの遊戯

 この嫉妬の克服の実例を、フロイトの孫であるエルンストルが考え出した三つの遊戯から考えてみよう。どれもある共通した性格をそなえた遊戯なのである。第一の遊戯は、有名なオーとダーの糸巻遊びの実例である。生後一年半くらいになって、言葉を覚え始めていた頃のことである。少年は、糸巻をベッドの向こうに投げて隠しては、オーオーと声を挙げて喜んでいるところを発見された。

 フロイトと母親は、オーオーという歓声が、フォールト(よそに)という言葉であることをすぐに見抜いた。糸巻に「いってしまえ」といって喜んでいたのである。それが「よそに」であることは、子供が逆に、糸巻を手元に取り戻してダー、ダーといって喜んでいることからも確認された。ダーは「ここに」である。よそにやったものがここに戻ってくる。「これは姿を消すことと姿を現すことで成立する一組の遊戯だった」[1]のである。

 フロイトはこの遊戯を、その当時に母親が留守がちであったことが多かったことに関連づけた。この少年は長男だったが、躾のよい、そして聞き分けのよい子供で、自分の気持ちを母親に正直にぶつけることをしないように育てられていたらしい。しかし母親を奪われるという失意の気持ちは、母親を奪ったものへの嫉妬の思いを育てていたらしい。少年が母親を独占することを妨げた「あいつ」は、弟ではなく、母親の用事だったのである。

 この嫉妬の思いは、少年のうちに母親への恨みを引き起こした。前にあんなに一緒にいてくれたのに、今はどうして……という思いである。この自分の失意を抑えるために少年が考え出したのが、糸巻を自分でみえなくしてしまうという遊戯だった。そして印象的なことは、この二つの遊戯に奇妙な逆の対称性がみられたことである。

 糸巻を取り戻すダーの遊びは「いかにも満足そうに」[2]、大きな喜びを味わいながら行われた。姿を現すことが、その少年にとって喜びをもたらすものだったこと、少年は失われたものを取り戻すことに喜びを感じていたことはたしかである。

 これにたいして糸巻の姿を消させるオーの遊びは「意味ありげ」[3]に言葉を発しながら、それでも「興味と満足の表情とともに」[4]行われていた。それが喪失の遊戯であるから、少年には苦痛をもたらすことを意味するはずだった。ところがこの苦痛のオー遊戯の頻度は、喜びのダー遊戯の頻度よりも多かったのである。少年は、苦痛を味わうことにある種の喜びをみいだしていたと考えるしかない。

コメント0

「中山元の哲学カフェ」のバックナンバー

一覧

「少年はどのように嫉妬を克服したか」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

プロフェッショナルとして、勝負どころで安易に妥協するなら仕事をする意味がない。

手嶋 龍一 作家・ジャーナリスト