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人間の記憶と「意識の逆説」

記憶する[1]

2013年1月10日(木)

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記憶とは

 これからしばらく記憶することについて、考えてみたいと思う。手元の辞書では記憶することについて二つの意味を挙げている。一つは、「過去に体験したことや覚えたことを、忘れずに心にとめておくこと、またその内容」である。もう一つは「心理学で、生物体に過去の影響が残ること、また過去の経験を保持し、これを再生・再認する機能の総称」である。

 要するに記憶には二つの側面がある。第一は、現在の経験をどこかに記録し、これを保持していることである。経験しないものを記憶することは基本的にない。まず経験があり、これが記憶される。第二は、このようにして記録された記憶を、再生し、再認することである。必要なときに、過去の記憶が再生されないと、それは記憶したことにならないだろう。

 このように、人間が過去の経験を忘れずに維持していることが記憶することであり、その意味では記憶するということは、人間にとってはもっとも基本的な営みの一つだろう。人間とは彼が記憶している者だと言えるくらいだ。個人のアイデンティティは、その人が記憶しているものによって構成されている。すべての記憶がなくなってしまったら、その人は自分が誰であったかを他人に教えてもらわなければならなくなるだろう。

 それでいて、現在の科学は記憶のメカニズムをうまく把握することができていない。人間がどのようにして記憶しているのかということすら、説明できないのだ。これは意識のメカニズムの奇妙な逆説と深い関係がある。まず意識の逆説について考えてみよう。

自己意識の逆説

 意識には二つの逆説がある。自己意識の逆説と意識の塗り替えの逆説である。まず自己意識の逆説から考えてみよう。今、庭の樹木を眺めているとしよう。そのときぼくの意識にはケヤキの樹が写っているとしよう。ぼくが意識しているのはケヤキである。ぼくはそのときに、自分の意識を意識することはない。それからふと、ぼくは自分がケヤキを眺めていると意識したとしよう。そのとき意識は自己を意識する。その瞬間にぼくの意識からケヤキは消滅する。

 意識はいわば容器のようなものなのであり、何かを意識するときには、自己を意識してはならないし、自己を意識しているときは、何かを意識することはできないのである。だから対象を意識するときには、その背後に、「わたしは考える」という自己意識が存在していなければならないが、それが意識の表面にでてきてはならないのである。

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「人間の記憶と「意識の逆説」」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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