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アリストテレスの記憶論

記憶する[7]

2013年2月21日(木)

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記憶と時間

 プラトンの記憶論につづいて、アリストテレスの記憶論について考えてみよう。アリストテレスは、記憶の問題に「時間」という要因を持ち込んだ。もちろんプラトンの記憶にも時間の概念は当然ながら含まれていたが、記憶と時間の明確な結びつきを示したのは、アリストテレスである。「すべての記憶は時間を伴う」[1]のである。

 アリストテレスは、現在については記憶がないことを指摘する。現在においてあるのは感覚である。未来についても記憶はない。未来についてあるのは期待である。だから過去についてだけ記憶がある。

記憶と共通感覚

 それではこの記憶はどこにあるのだろうか。記憶が時間を伴うものであるからには、それは時間を認識する器官においてだろう。人間には五つの感覚器官がある。目で見る視覚、耳で聞く聴覚、鼻で嗅ぐ嗅覚、舌で味わう味覚、肌で感じる触覚である。このほかには、感覚器官はない。しかし人間の認識は、一つの器官だけで行われることは少ない。見ているときには聞いてもいるだろう。匂うかもしれない。これらの複数の感覚を統合するような感覚が必要だろう。それが共通感覚である。

 この共通感覚はさらに、複数の器官の知覚だけでなく、一つの器官で知覚しているときに、同時に知覚されるもの、そしてその感覚器官のほんらいの働きではないものも知覚する。たとえば「運動、静止、形、量、数」[2]などある。これらのものは、ある感覚器官によって、そのものとしてではなく、付帯的に認識される。猫が寝ているのを見るとき、見える像とは別に、それが動いているかどうか、どんな形か、何匹いるかなども「付帯的に」認識するわけだ。こうした感覚は特別な器官に宿るのではなく、心に宿るというべきだろう。

 さて、記憶に伴う時間というのはどのようなものだろうか。アリストテレスは、時間というものを人間が認識するのは、「ただわれわれが運動を、その前と後を識別しながら、限定するとき」[3]だけであると指摘する。カントにおいては時間は、人間の直観の形式であり、人間の感性にそなわるものだと考えられたが、古代のギリシアでは時間は、人間の外部の物体の運動だけにかかわるものである。とくに天体の回転運動から、時間が決定され、考えられる。アリストテレスの定義では「時間とは、前と後に関しての運動の数である」[4]。あるいは「時間は運動の、および運動することそのことの尺度である」[5]

 そしてこの運動を知覚するのは共通感覚であるから、時間を知覚するのも共通感覚であり、必然的に記憶するのも共通感覚である。記憶のうちでは、ある人物について、その形、姿、色、運動、数などについての表象が同時に浮かびあがる。これも共通感覚でなければ、行いえないことである。記憶を司るのは共通感覚であり、それは心に宿ることになる。「時間を感覚するところのその器官によって、記憶する」[6]のだからである。

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「アリストテレスの記憶論」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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