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傍観者の「善意」について

2013年3月8日(金)

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 東日本大震災から数えて2回目の3月11日が近づいている。
 被災地は3年目の春を迎えることになる。はやいものだ。

 今回は、あの日から丸二年が経過しつつあることを踏まえて、震災および原発事故のその後について私が現時点で感じているところを書こうと思っている。

 ちょうど一年ほど前(2012年3月22日)の当欄で、「レッテルとしてのフクシマ」というタイトルの原稿を書いた。

 反響は、半ば予想した通りだったが、残りの半分は想定外だった。
 つまり、ある程度荒れることは予想の範囲内だったのだが、荒れ方について私が抱いていた予断は、大いに甘かったということだ(togetter 小田嶋隆 tako_ashi 氏の「レッテルとしてのフクシマ」への反響)。

 反発には、おおまかに言って二つの方向性があった。
 ひとつは福島について起こっている議論を語るにあたって、私が「南京事件」を持ち出したことに対しての拒否反応だ。

「貴殿は中共側のプロパガンダであるに過ぎない《南京大虐殺》を、歴史的事実として扱うつもりなのか?」
「南京事件について真摯に研究している人々を《南京大虐殺は存在しなかった》などという妄言を吐いている人間と一緒くたにして《どっちもどっち》という形で相対化する態度の有害さを自覚しておいでですか?」

 なんというのか、「南京」を挟んだ両側の陣営から、反論がやってきたカタチだ。
 これについては、ツイッター上でも既に説明したが、

「テーブルの両側に残っているのは狂信者のみ」

 という私の書き方がそもそも言い過ぎだった。この一文については、撤回するとともに、あらためてこの場を借りて謝罪しておく。

 ただ、南京事件に関して、真摯に研究し、実りある議論を試みている人々が実在することが事実なのだとしても、それでもなお、一般人にとって、「南京事件」ないしは「南京大虐殺」の話題に踏み込むことが、リスクを伴う決断である事情はそんなに変わらない。

 で、現状を鑑みるに、福島をめぐる事態は、「フクシマは南京化しているのかもしれない」と、私が言っていた通りの過程を辿っている。

 すなわち、対立した二つの陣営が、互いに歩み寄ることをせず、データを恣意的に引用し、あるいは誇張しつつ、平行線どころか、より対立を深める方向で非難の応酬を繰り返しているわけだ。

 「レッテルとしてのフクシマ」に寄せられた反発の声のうちの、もうひとつの代表的なパターンは、私が福島の被害や汚染を過小評価しているというものだ。

 しかも、反発の声を寄せた人々の多くは、私が福島の放射能汚染を過小評価(←「彼らの目から見て」ということだが)している理由を、単なる認識不足や観察の甘さだとは考えていない。むしろ、彼らはそこにオダジマの悪意を読み取ろうとしていた。

 どういうことなのかというと、彼らは、オダジマが、放射能汚染を実際より小さく見せかけるべく、周到な印象操作をおこなっていると主張していたのだ。

 これにはちょっと驚いた。

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「傍観者の「善意」について」の著者

小田嶋 隆

小田嶋 隆(おだじま・たかし)

コラムニスト

1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、紆余曲折を経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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