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人間の記憶は一つの物語にすぎない

記憶する[15]

2013年4月18日(木)

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記憶の両義性

 このようにベルクソンの哲学では記憶は両義的な意味をもつ。記憶は人間の行動を可能にするという意味で重要なものであると同時に、現在と未来から注意を逸らすものである。ぼくたちが記憶や過去に注意を向けるのは、あまり好ましくないことなのだ。

 また、人間は時間を「流れ」のようなものと意識することが多い。ぼくたちは時間を空間化して、のっぺりと流れる線のようなものとみなしてしまう。そして自分の中で流れる時間を無視してしまいがちなのだ。これも過去の記憶のもたらす負の側面だろう。

 人間が過去を振り返るときに、一瞬ごとに過ぎ去った時間を意識する。「その継起する各瞬間をたがいに外在的なものとして思い浮かべ、そうすることによって空間を横切る線を思う権利をもっている。しかしこの線が記号としてあらわすものが、流れつつある時間ではなく、流れ去った時間であるのは当然のこと」[1]なのである。

 カントは、人間が時間を思い浮かべるためには、直線を描いて空間の中で線の像として考える必要があることを指摘した。ベルクソンは時間を空間としてイメージするときには、それは避けがたいことであることを認める。しかし自分の中を流れている時間は、「固有の人格と固有の生命をそなえている」[2]ものであると考える。これは人間の自由を作りだす根拠となるものなのだ。

流れ去った時間と流れつつある時間

 ベルクソンは、もはや流れ去った時間のうちには、人間の自由はないことを指摘する。過去の行為はすべて自然の必然性の法則のもとにあり、人間の自由にはならない。しかし「流れつつある時間」のうちでは人間は自由である。「自由な行為は流れつつある時間の中で行われる」[3]のである。この人間のうちで流れつつある時間をベルクソンは純粋持続と呼ぶ。人間は純粋持続を生きること、しかも未来に向けて生きることが大切なのである。

記憶と知覚の違い

 このベルクソンの持続の哲学に近いところから、「時は流れない」というユニークな主張をしたのが、日本のきわめてユニークな哲学者だった大森荘蔵である。まず大森は、「想起とは、過去の知覚経験の再現または再生であり、そのためにはその知覚経験は記憶のなかに保持されていなければならない」[4]という一般的な考え方を批判する。

 ベルクソンもまた、記憶とは、現在の知覚が弱まったもの、薄くなったものとする一般的な考え方を批判していた。演奏会で聞いたピアノの音をいくら弱めても、記憶になることはない。ごく弱いピアニッシモの音は、ピアニッシモの音のままで記憶されているのである。知覚と記憶は程度が異なるのではなく、質が異なるのである。

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「人間の記憶は一つの物語にすぎない」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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牛島 信 弁護士