• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

時は流れない

記憶する[16]

2013年4月25日(木)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

知覚的図解

 大森はすでに考察したように、記憶というものは、過去についての言語による物語であると主張する。ぼくたちが昨日の散歩のことを想起するとき、ぼくたちには散歩している風景が想起されるように考えている。しかし大森は、そのように「知覚風景」が想起されるのではなく、想起されるのは「言語的命題の一群である」[1]と考えるのである。

 そしてそれに付随してある風景が想起されるとしても、「この同伴する風景らしいものは実は知覚的な想像なのであって、真の想起である言語的命題群の挿絵であり、図解なのである」[2]と主張する。そしてこの挿絵を「知覚的図解」[3]と呼ぶのである。この図解は、過去の知覚風景がよみがえったものではなく、現在の時点において、ぼくが心に思い浮かべているものであり、過去の散歩の風景の想起による知覚ではないと主張する。

過去の知覚の不可能性

 大森が言いたいのは、昨日の散歩の光景を想起するとき、それは過去についての知覚の名残などではなく、現在の時点において、過去の散歩について想像のうちで、ある風景を思い描いているにすぎないということである。「何であれ、過去を知覚的に描写することは不可能である」という[4]

 というのも知覚は目の前のものについての正確な像であり、その細部を描くことができるものであるが、記憶はぼんやりとしたイメージにすぎないからである。過去の光景を想起するとき、その細部について確認することはできない。それは知覚的な描写ではなく、たんなるイメージを思い浮かべているにすぎないのである。

過去形

 しかしぼくたちは過去について考えることはできる。そしてその過去の想起は現在において行われている想起だとしても、それを過去のこととして想起しているのである。それではやはり過去の風景はぼくたちのうちに記憶されているのではないだろうか。

 大森はそうではないと考えるのが面白い。大森の哲学はあくまでも常識のうちにある思い込みを暴きだそうとする――ときにアクロバティックに。大森は想起する行為は、言語的な命題群の想起であるという主張にふさわしく、過去についての了解は、「動詞の過去形の了解によって」[5]生まれると考えるのである。生活の中でぼくたちはさまざまな過去の行為を想起する。そしてたとえば「昨日は雨の中を散歩した」と考えるのである。そして「散歩した」という過去形を使うことのうちに、いつしかぼくたちのうちに「過去の意味」が蓄積されてゆくために、過去という観念が生まれてくるのだという。

コメント0

「中山元の哲学カフェ」のバックナンバー

一覧

「時は流れない」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

トランプ政権のここまでの動きはスロー。

ジョセフ・ナイ 米ハーバード大学特別功労教授