• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「傲慢の絶望」と「弱気の絶望」

忘れる[11]

2013年7月18日(木)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

永遠的な自己の忘却

 前回考察したのは、自分が自己を忘却していることに気づかず、ごく世間的な生活を送っている人間たちだった。首相になりたい、なれるはずだと思い込んで、自己を忘却している男であり、自己を忘れて、他人と同じように暮らしたがる男だった。これらの男たちは、「絶望のうちにあって自己をもっていることを意識しない」人々である。

 こうした絶望する人々とは別に、そもそも自分のうちに自己を、しかも永遠的な自己をもっていることを、最初からまったく意識しない人々がいるとキルケゴールは考える。それはこれまで考察したように、たんに世間的な生活のうちで、ほんらいの自己を忘却している人々ではない。自己が神という絶対的な超越者の前にいることを知らない人々のことである。

地下室の思想

 キルケゴールは、身体をもつと同時に霊的な存在である人間を、地下室つきの二階建ての家に譬える。もちろん地下室が身体的な存在を象徴し、二階が霊的な存在を象徴する。そして「困ったことに、たいていの人間は好んで自分の家の地下室に住みたがる」[1]と指摘する。ということは、「感性の規定のもとに住みたがる」[2]のであり、せっかく二階があるのだから、二階に住めばと言われると、「むかっ腹をたてかねないほどに地下室がお気に入り」[3]な人々である。

 このような人は、自分が霊的な存在であることを認識していない。その認識が欠けているために、この人は自己を忘却し、自己に絶望しているのであるが、その絶望を意識することができない。この認識は、その人が自己への絶望から脱却するためには絶対に必要なものであるが、その認識が欠如しているためにそれがもともと妨げられている。それは「絶望の最も危険な形」[4]なのである。

 これは世間ではごくありふれた状態である。こうした人に精神が欠けているわけではない。頭脳的な働きは卓越している場合もあるのである。キルケゴールは、こうした人は自己が倫理的および宗教的な意味で「精神」であることを知らないのだと指摘する。こうした人は、「神のうちに自己の根拠を求めず、漠然とある抽象的な一般者(たとえば国家や国民など)のなかに安住したり没入したりして、自分の自己については何もわきまえず」[5]に一生を過ごすのである。このような人は「もともと内面的に理解されるべき自分の自己を、ただ不可解なあるものとして受けとるにすぎない」[6]のであり、真の自己を忘却しているのである。

自己の境遇への絶望

 このように超越的な神との関係をそもそももっていない人は、絶望とは何かということすら知らず、自分が絶望のうちにあることすら認識していない。これにたいして自分が絶望していることを意識し始めている人々もいる。しかしこうした人々はすぐに自己についての真の認識をもち、自己の忘却から脱却できるだろうか。キルケゴールは絶望という死にいたる病は、このように簡単に癒せるものではないと指摘する。自分が絶望していることを意識しながら、しかも自己自身であろうとしない場合があるのである。

コメント0

「中山元の哲学カフェ」のバックナンバー

一覧

「「傲慢の絶望」と「弱気の絶望」」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

トランプ政権のここまでの動きはスロー。

ジョセフ・ナイ 米ハーバード大学特別功労教授