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絶望を極める道

忘れる[12]

2013年7月25日(木)

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三段階の絶望

 さて、少し整理をしてみよう。第一の段階の絶望は、絶望であることを知らない絶望であった。自分が自己に絶望していることを知らずに、世の中で自分の願うことが実現しないから自己に絶望しているのである。次の段階の絶望は、自分が絶望していることを知っている絶望である。これには二つの種類のものがあった。第二段階の絶望は、絶望して自己自身であろうとしない絶望であり、第三段階の絶望は、絶望して自己自身であろうとする絶望である。

 絶望して自己自身であろうとしない第二段階の絶望は弱気の絶望であり、これにも二種類のものがある。永遠的なものを知らず、世の中に絶望している絶望(これが前回の傲慢の絶望である)と、永遠的なものを知っていながら、絶望している自己に絶望している絶望がある。今回はこれについて考えてみよう。

永遠的なものの消極的な絶望

 前回考察した絶望は、自己自身のうちに永遠なるものがあることを知らずに、絶望して自己自身であろうとしながら、世の中に絶望している絶望であったが、キルケゴールはこれはある意味ではやはり、永遠的なものへの絶望であることを指摘する。彼は自分の身の上について、世の中で願いが適わないから絶望しているであるが、それは永遠的なものについて絶望していることを示すものである。彼がこの世の中のことをそれほど重視しているからこそ、自分に絶望しているのである。

 キルケゴールが指摘するように、「彼がこの世の何ものかにかくも大きな価値を置いてそれをこの世のすべてであるかのように思いなしているからこそ、……それはまさしく永遠なものについての絶望である」[1]からだ。もしも永遠なるものが存在していることを認識していれば、この世のことにそれほど絶望することはないだろう。このように永遠的なものを知らない絶望もまた、永遠的なものの絶望であることを示す論理は、キルケゴールに特有の鋭い論理運びである。

永遠なるものの絶望

 これは消極的な意味で、永遠的なものを知ら「ない」という意味で、永遠的なものに絶望している状態なのである。しかし永遠的なものを知っていて、なお絶望している事態も考えられる。これは永遠的なものについての積極的な絶望である。

 この者は、この世のものがすべてではなく、永遠的なものが存在することを知っている。そしてこの世のものにそれほど固執して絶望するのは、永遠的なものがそのうちに存在している自己そのものを忘却するものであることも認識している。この世のものとは異なるもの、この世のものよりも価値が高いものが存在していること、それが自己のうちにあることを認識しているのである。それを認識させるのは「彼の自己のうちにあってこの世を越えたもの、現世を越えたもの、世間を越えたもの、すなわち永遠的なもの」[2]である。そのものが存在することが認識され、それが永遠的なものであることが認識されるのである。

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「絶望を極める道」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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