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自己に固執する絶望者

忘れる[13]

2013年8月1日(木)

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傲慢の絶望

 さて、キルケゴールが考察する自己の忘却としての絶望も、最後の段階に到達した。絶望しつつ自己自身であろうとする絶望である。前の段階の絶望は、絶望しつつ自己自身であろうとしない絶望だった。そこでは絶望者は自分の弱気に絶望していたのである。

 しかし絶望者がそのことに気づいて、どうして自分が自分自身であろうとしないのかという理由を認識するようになると、絶望しつつ自己自身であろうとする絶望が生まれる。この者は、絶望しつつ自己自身であろうと居直るのである。キルケゴールはこれを「傲慢の絶望」と呼ぶ。絶望者はすべて、ある意味ではどこかで傲慢さを秘めている。そしてこの段階で、その傲慢さが正面に出てくるのである。絶望しつつ、その絶望している自己自身を肯定しようとするのである。「いいではないか、絶望しているのがわたしなのだ」、と。

 この絶望者は、自己のうちの永遠なるものを認識している。しかしその永遠なるものにすがることはできず、それと正面から向き合うこともできず、そのことに絶望しているのである。その意味ではこの絶望者は永遠なるものとごく近いところにいる。しかし永遠なるものを認識しながら、その永遠なるものから背を向けていることによって、永遠なるものから「無限に遠くへだたっている」[1]のである。

 真の意味で永遠なるものに向き合おうとするならば、「永遠なるものの力を借りて、自己は自己自身を獲得するために、自己自身を失う勇気をもつ。けれども傲慢にあっては、自己は、自己自身を捨てることを欲しない。むしろ自己自身を主張しようとするのである」[2]。ほんとうの自己になるためには、自己を捨てる勇気をもつ必要があるのに、自己を捨て切れず、自己にこだわるあまり、絶望にとどまるのである。これは自己に固執することで、真の自己を忘却するということだろう。

行動的な絶望者

 キルケゴールは、このような自己に固執する絶望者には二種類の類型があると考える。行動的な絶望者と受動的な絶望者である。行動的な絶望者は、永遠なるものの存在を認識しているのであるから、自己のうちにある無限性が存在していることに気づいている。しかしこの無限の可能性を意識しながら、自己を捨てることができず、自己を望ましい自己に変えようと行動する。この絶望者は「絶望しながら自己自身を思いのままに支配しようとする」[3]のである。そして「自分の自己を、自分がそうありたいと思うような自己に仕上げよう」[4]と願うのである。

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「自己に固執する絶望者」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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