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ヤスパースの自己反省と絶望の弁証法

忘れる[14]

2013年8月8日(木)

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ヤスパースとキルケゴール

 ヤスパースは精神医学者としてキャリアを始めている。この分野での主著『精神病理学総論』はこの問題についての標準的な参考文献としての地位をいまだに保ちつづけている書物である。やがて哲学の領域で活動するようになる。とくにキルケゴールからは大きな影響をうけている。ヤスパースは「わたしの〈実存〉の概念はキルケゴールに負うているのでありますが、この概念こそ、従来動揺のうちにわたしが求めてやまなかったものを把握するために、一九一五年以来、わたしにとって基準となったものです」[1]と語っているのである。

 ヤスパースは哲学の分野での主著『哲学』の第二分冊『実存開明』において、キルケゴールにならって、自己反省と絶望の弁証法を展開する。この弁証法がキルケゴールの絶望の弁証法とどのように類似し、どのように違っているかを、自己の忘却という観点から比較してみよう。

自己反省による自己の発見

 まず人間の自我は、自己について反省する営みで初めて自己というものを発見する。自己反省はたんなる観察ではなく、「自己との交わりであり、認識としてみずからを実現するのではなく、自己創造として自らを実現するのである」[2]

 この自己反省は、忘却されていた真の自己に到達しようとする試みである。これはわたしが自己であったり、自己でなかったりするという分裂性を意識する営みであり、「この分裂性によって、〈のんきな直接性〉が放棄されるとともに、わたし自身の本来の根源性が可能となるのである」[3]。この自己反省はわたしと自己とを媒介する営みであり、わたしはこれによって「自己へ到達することによって、自己自身であることを欲するものとして、わたしとなるところのものである」[4]。これがわたしの本来の自己のアイデンティティを確立することを助けるのである。

意識されざる絶望

 それではこの自己に到達し、自己の本来の根源性を可能にするはずの自己反省から、どのようにして絶望が生まれるのだろうか。もしも自己反省が仮初のものであり、たんなる自己意識のようなものであるならば、絶望は訪れないだろう。その場合には、「わたしはほんの一瞬だけ自分を意識したが、自分を決定する関係の中へ踏み込んで、自分へ到達する」[5]ことなどは、試みないだろうからである。あるいは明晰さを求める自己反省が、「無関心で消極的な自己意識」[6]である場合にも、絶望は訪れないのだろう。

 ヤスパースのこの段階は、キルケゴールの絶望の第一段階、絶望を意識しない絶望の段階に相当すると考えることができる。絶望は訪れていないが、それでいて、根源的な自己に到達するという本来の自己の営みを放棄しているのであり、それは意識されざる絶望にひとしいからである。

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「ヤスパースの自己反省と絶望の弁証法」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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檜山 敦 東京大学先端科学技術研究センター 講師