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自己の忘却から抜けだすための道

忘れる[15]

2013年8月22日(木)

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日常性への埋没

 ヤスパースの自己の忘却へのまなざしは、このようなキルケゴール的な絶望の弁証法だけに依拠するものではない。自己の忘却は、ぼくたちの日常性のうちにしっかりと根づいているものなのだ。ヤスパースは現代の技術的な労働社会において、自己の忘却がいかに日常的なものであるか、次のように語っている。

 「このような自己忘却の状態は、技術的な世界によって促進される。時計によって秩序づけられ、精力を消耗するか、さもなくば無意味にしてしまうような労働によって、人間らしい人間を充実することがますます少なくなっている労働によって、この自己忘却の状態がその極にまでおし進められるため、人間は自分を、そこここに交互にはめこまれていて、放り出されれば何ものでもなく、自分でもどうすることもできないような機械の一部と感じるほどである」[1]

 ぼくたちは大衆社会のうちで、日々の労働と消費のうちで、自分が誰であったのかすら忘れがちである。毎日、毎日、片づけるべき課題は押し寄せてきて、その課題をこなすだけで心も身体も、疲れきってしまう。思い出すべき自己など、どこにあったかと途方にくれることもあるのである。そのような問いは煩わしいもの、目の前から除けておきたいものとなる。

 こうした社会では「自己を忘却したいと思う傾向は、すでに人間それ自身のうちに内在している」[2]ものと言わざるをえない。だから「世間のことや、因習や、無分別に自明とされていることや、固定した軌道といったものに没頭しておのれを失わぬ」[3]ことは、容易なことではないのである。

哲学の覚醒

 しかし人々はある日、「仕事に消耗して自己を忘却していた状態」[4]から覚醒し、「突然目覚めて驚き、自分が何であり何を見落としているのか、何をしたらよいのかと自問する」[5]ようになる。プラトンもアリストテレスも、哲学は驚きから生まれると語った。こうした驚きは、さまざまな機会に生まれるものだろう。他者とのわずかな齟齬のような小さな出来事からも、自分の生命を失う危険に直面するような大事件からも生まれるだろう。ヤスパースは人々をこうした驚きが襲うことは、避けられないことだと考える。

 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」と歌ったのは『古今集』の藤原敏行だが、わずかな「風の音」がぼくたちの心を驚かせ、目覚めさせるのである。そして自己の忘却から抜け出そうと考えさせるのだ。「単純に労働し、いろいろな目的に没頭することがすでに自己忘却にいたる道であり、したがって怠慢であり、罪責でもあることに気づくということ、このことこそ、哲学的な生にいたろうとする意志である」[6]という。

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「自己の忘却から抜けだすための道」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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