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宗教改革と市民革命をつなぐ絆

抵抗する[28] 市民革命の思想(3)

2013年9月26日(木)

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リルバーンの国教会批判

 すでに述べたように、リルバーンは迫害を契機として、戦闘的な姿勢を明確に示し始める。そしてリルバーンは分離派のピューリタンとして、国教会を激しく批判したのだった。批判の根拠は主に二つあった。第一は国教会は、教会型の教会であるために、すべての国民が教会の一員であるとみなすことである。すでに確認したように、セクト型の教会は聖なる共同体を目指すものであるために、回心した信徒だけで構成されなければならない。回心しない者は真の意味では信徒とは言えないのであり、教会の一員として認められるべきではないのである。

 第二に、リルバーンは国教会の聖職者の権威と職務を否定する。それはローマ教皇の権威と職務に由来するものだからである。「彼らの権威と職務は悪魔からのものである」[1]というのは、カトリックを批判する多くのプロテスタントに共通の認識である。「彼らの日常の習慣と、彼らが身分の上下と貧富を問わず、あらゆる種類の人間に負わせている無情な重荷は、彼らが獣の裔であり獣の国に属していることを証明するではないか」[2]というのである。

 このために国教会の牧師が優れた人物であればあるほど、その害と罪も大きなものとなる。「かくて牧師の聖潔さが、彼の職務の不法を覆い隠す外套であり、これが民にキリストと彼の聖書と御国への反逆をつづけさせ、それがまた牧師の罪を一層悪化させる。この手段によって、民は真理の全部を心から受け取れないように邪魔され、いつまでたってもキリスト信徒にほぼなりかかった状態か、一部分だけなった状態にとどまるのである」[3]。このように、牧師の清さと才能の高さのために、国民は聖なる共同体にふさわしくない者にとどまるのである。こうして第二の理由が第一の理由を根拠づけるのである。

リルバーンの抵抗思想

 リルバーンは裁判において宣誓を求められて、これを拒絶した。求められた宣誓は「わたしは尋問にあたったすべてのことに真実を語ることを誓います。それゆえ神よ、わたしを助けたまえ」[4]というものだった。しかしリルバーンはこれを拒絶する。その理由として彼は国法、神法、自然法の三つの根拠をあげている。

 第一にこれは「われら国王の第二年に交付された議会制定法たる権利の請願にもはっきりと違反している」[5]と彼は主張する。イギリスにはマグナカルタ以来、貴族たちが自分たちの特権を守るために、国王に抵抗しながら、実定法によって国王の権利を制限してきた伝統があり、リルバーンはこの伝統に依拠することができたのである。

 第二にこれは神法に違反する。聖書では「神は何人にも自分自身を告発することを求めず、告訴された場合は証言のために少なくとも二、三人の承認を必要とするからである。それはまたキリストご自身の実践にも反する。彼は大祭司の前で審問を受けていた間じゅう、ご自分を訴えることはなさらなかった」[6]のである。

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「宗教改革と市民革命をつなぐ絆」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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