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ホッブズの社会契約のジレンマの克服

抵抗する[38] 市民革命の思想(13)

2013年12月5日(木)

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ホッブズの社会契約のジレンマの由来

 さてホッブズのこのような社会契約の理論のジレンマは、何よりもホッブズが人間を裸の原子のような存在とみなし、しかもそれぞれの人間原子が、死の恐怖、他者によって殺されるという恐れだけに支配される存在とみなしたことによって生まれたものである。自然状態がこのように、他者の所有と存在を犯してでも自己の生存を維持する権利をそなえたものとみなし、しかも人間がただこのような死の恐怖だけに支配されると考えたときには、ホッブズが描いたような状態になるのはやむをえないことである。

 それではほかの形で社会契約を締結することはできないのだろうか。パトニー討論でレヴェラーズが反論することのできる社会契約の形はないのだろうか。そうした社会契約は可能である。それは人間は、ホッブズの考えるようにただ恐怖だけによって支配される存在ではないからである。

 人間をこのような欲望と衝動だけの存在と考えることには、ある一面化が存在しているのであり、この一面的な人間像を作り変えることで、もっと違う社会契約と国家像が可能になるはずである。その可能性を示したのが、イングランドと同じく宗教改革の後にカルヴァン派と世俗的な国家権力が激しく対立していたオランダで、国家の可能性を考察したスピノザである。

イングランドとオランダ共和国の共通性

 ホッブズはイングランドで血を血で洗うピューリタン革命を目撃して、彼の社会契約の理論を構築した。スピノザの祖国のオランダもまたカルヴァン派のピューリタンが支配する共和国だった。『リヴァイアサン』が刊行されたのは一六五一年であるが、オランダ共和国がカトリック王国のスペインから正式に独立を獲得したのはその三年前の一六四八年、三〇年戦争が終結した年である。

 イングランドでは、宗教的な党派としては国教会、長老派、独立派、それにレヴェラーズなどの左翼が対立し、世俗的には議会勢力と国王勢力が対立していた。そしてこの宗教的な対立と世俗的な対立がさらに複雑に錯綜したかたちで展開されていた。

 これにたいしてオランダでは宗教的にはイングランドの長老派に相当するカルヴァン派(改革派)の支配のもとで、ピューリタンのさまざまな宗派や、カトリック、ユダヤ人たちが共存していた。また世俗的には各州の貴族(レヘント)たちが共和的な体制を確立し(その指導者がデウィットである)、それが王党派のオランイェ家と対立していた[1]。この国でスピノザは『エチカ』を書きながら、政治的な必要性に迫られて、『神学・政治論集』を執筆した。刊行は一六七〇年のことである。

スピノザの自然権と自然法

 この時代のオランダではホッブズの『リヴァイアサン』の理論を利用して、改革派にたいして世俗の権力者の主権を根拠づける試みが展開された。こうした背景のもとで「改革派教会と世俗為政者との関係に問題意識を抱いた者たちが、ホッブズの主権理論に極めて強く惹かれた」[2]のである。

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「ホッブズの社会契約のジレンマの克服」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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檜山 敦 東京大学先端科学技術研究センター 講師