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謝罪したいなら地雷原を走れ

2013年12月20日(金)

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 猪瀬直樹東京都知事が辞意を表明した。
 感想は特にない。

 いや、本当のことを言えば、色々と思うところが無いわけではない。
 ただ、このタイミングで、あえて文字にして伝えるべき話でもないということだ。だから、猪瀬さんの辞任それ自体については、当面、何も言わないことにする。

 何かを思うことと、それを口に出すことの間には、しかるべき距離がある。当然の話だ。
 アタマの中で考えたことを、その場ですべて声に出して良いのは、幼児と独裁者だけだ。
 ふつうの人間は、自制しなければならない。

 ところが、この距離(ないしは時間)が、うまく確保できなくなってきている。
 コミュニケーションの到達範囲も、次第に制御不能に陥りつつある。
 われわれは、黙れなくなっている。
 これは、実にやっかいなことだ。

 ずっとむかし、まだ、一般の日本人がインターネットやパソコンにつながっていなかった時代、思うこととしゃべることの間の距離は、当事者である私たちが特に自制するまでもなく、所与の条件として、余儀なく決定されていた。

 仮に、思ったことをそのまましゃべってしまうどうにも口の軽い人間がいたのだとしても、その彼の軽佻な声は、彼の周囲にいる数人の人間の耳に届くだけで、しかも、その場で揮発していた。であるからして、個人の発言が炎上を招く危険性は、現在と比べて、ずっと低かった。

 ところが、手の中にスマホを持っている21世紀の人間は、つい余計なことをつぶやいてしまう。
 しかも、ほんの10年前までは、罪の無いジョークとして受け流されていた言葉が、記録に残って、永遠に蒸し返される。

 と、人々は、他人の失言に寛大に構えることがむずかしくなる。
 かくして、ネット上にはゲシュタポみたいな失言探索サークルが出来上がり、マスメディアはマスメディアで、制裁と謝罪をワンセットにしたシリーズ物の三文オペラをレギュラーのプログラムとして上演する仕儀に立ち至っている。

 早い話、徳田虎雄氏がその翻訳者に向けて示したと言われる意思表示が、スピーカーを通じて、複数の関係者の耳に届いていたことが、結果として、猪瀬都知事を追い詰めることになっている。結局、知事は、そもそも秘密を守ることが困難な状況下で、秘密の事柄について語っていたわけで、このことが、最終的に、彼を失職に追いやったわけだ。

 ALS(筋萎縮性側索硬化症)で闘病中の徳田虎雄氏は、音声としての日常の言葉を発することができない。
 というよりも、彼の病状は、両の手足をはじめとして、自分の身体をほとんど自由に動かすことができない段階だと言われている。
 だから、虎雄氏は、特別な通訳者を通じて、眼球の動きで文字を指し示しながら意思疎通をはかっているという。

 私は、昨年、ある会合で、ALSの患者さんが、身体の一部を動かすことで、翻訳者に意図する文字を伝える様子を見せてもらったことがある。
 ほとんど動けないように見える車いすの患者とその介助をする翻訳者が、アゴの動きやほんのちょっとした仕草を通じて、一文字ずつひらがなを探り当てて行く協働の過程は、実に驚くべき、感動的なやりとりだった。
 だから、徳田虎雄氏が、全身の行動の自由を失っていく過程にありながら、それでも、徳洲会の全権を掌握し、眼球運動による言葉で、指令を発していたという話に、私は、政治資金や利子の問題とは別の次元の感慨を覚えたわけなのだが、それはまた別の話だ。

 今回は、黙っていることが困難になってしまった時代について考えたいと思っている。

コメント58

「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」のバックナンバー

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「謝罪したいなら地雷原を走れ」の著者

小田嶋 隆

小田嶋 隆(おだじま・たかし)

コラムニスト

1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、紆余曲折を経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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