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幼児の遊び(その2)「象徴的な遊び」

遊ぶ[7]

2014年2月20日(木)

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象徴的な遊びとは

 前回確認しましたように、子供たちは何もないところでも、自分の身体を使って、すぐに遊びを作りだすことができます。子供と歩いていると、まっすぐに歩いてくれないので困ることがあります。あちこちに向きを変え、踏み石にできる石があるとそれらをすべて踏んで歩いたりするのです。子供たちは、自分の身体を動かすという「実践」そのものに楽しさをみいだすことができるといううらやましい能力をそなえているのです。

 ところがこの身体の動きに、やがてはある種の「意味」のようなものが与えられることがあります。それはたとえばこの踏み石を一つの「陣地」とみなした場合です。そして踏むことで、その陣地が敵の陣地から自分の陣地に変わると考えたりするのです。この「みなし」が生まれるときに、自分が陣地取りをしていると考えるとき、そこにはたんなる身体的な実践の遊びではなく、陣地取りという象徴的な遊びが始まると考えることができます。象徴的な遊びの要はこの「みなし」であり、「ふり」です。

 ピアジェが示しているもっとも素朴で可愛い「みなし」の遊びの例をみてみましょう。ある幼い女の子が母親のところに、両手で何かをつかまえて、それを見せるような「ふり」をしてやってきました。母親が「それはなあに」と尋ねると、「小鳥」と答えました。少女の部屋の壁紙に、小鳥が描かれていたのですが、彼女はこの壁紙を引きむしり、この小鳥を解き放ったのです。そしてこの小鳥は、彼女の両手のうちに捕らえられていたのでした。

 母親が驚いてみせると喜んだ少女は、次にふたたび同じ身振りをして母親のところにやってきます。母親が「今度はなあに」と尋ねると、「お花」と答えました。壁紙に書かれた花を摘んで母親に見せたつもりなのです。そしてその次は「おひさま」でした。日光も壁紙に降り注いでいたのでしょうが、今度は現実の日光だったかもしれません。

 これらのしぐさは、少女があるものを何かと「みなす」という行為のうちに、遊びの喜びをみいだしたことを示しています。この遊びが、これまでの「実践の遊び」という身体を使った遊びとは明確に異なるのは明らかでしょう。たしかにこの遊びでも身体は使われています。両手で何かをつかまえてもってくるという身体の動きがなければ遊びは成立しないからです。しかしこの遊びの要は、身体の動きの楽しさではなく、少女がなにかをある別のものと「みなす」ことができることにあります。そしてそこには、言語の働きが不可欠なのです。

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「幼児の遊び(その2)「象徴的な遊び」」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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