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人間の文化の根底にある遊びの諸相(その2)「裁判における三つの遊びの要素」

遊ぶ(13)

2014年4月3日(木)

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聖なる円陣としての法廷

 すでに考察したように、裁判は正義の場や真理の追求の場というよりも、それぞれの当事者がたがいに観客の前でその技の巧みさを誇るゲームの場という性格が強かったようです。それだけに裁きの場は、どこでもよい場ではなく、特殊な場、ある意味では聖なる場でなければならなかったわけです。ギリシア語では法廷は「聖なる円陣」(ヒエロス・キュロス」と呼ばれました。この場は聖域だったのです。「法廷はまさしく正真正銘の魔力の磁場であり、遊び場である」[1]のです。

 ホイジンガによると、イギリスの裁判所たちが鬘をかぶるのは、この法廷の聖なる性格のためだといいます。「裁判官のかつらは、……その機能において、それはむしろ未開民族の原始的な踊りの仮面と密接な関係をもつことが注意されなければならない。仮面をつければ、その人はまったくの〈別の存在〉になる」[2]のだというのです。鬘をつけた裁判官は、その仮面のような鬘をつけることで、法廷という舞台において、裁き手という本来であれば社会のうちの一人の人格においては果たすことの許されない高次の人格を帯びることを、そしてこの場が日常性から離れた聖なる場であることを、出席者たちに告げるわけです。

裁判の三つの遊びの要素

 ホイジンガは、裁判に顕著にみられる遊びの性格を示すものとして三つの要素を挙げています。賭けの遊び、競争のレースとしての遊び、言葉の遊びです。最初の二つの賭けと競争という要素は、日常の生活でも時に密接な関係をもっています。競争や競技は、賭けの要素を伴うものであることは、サッカーの八百長などが発生する重要な原因となっています。対立する二人の者が競うとき、それを眺めている第三者は「賭け」をして遊びたがるものなのでしょう。

 第三の要素である言葉遊びが、たんなる洒落で冗談に終わらずに、競技としての性格を帯びることがあるのは、ディベートの習慣や、演説のコンクールなどの催しからもうかがうことができます。言葉で巧みに遊ぶことができる者は、相手を言い負かし、打ち負かすことができるわけです。これは遊びという営みがもっている高次の性格をうかがわせるものです。遊びはときには真面目な営みよりも、強い力を発揮することがあるのです。

賭けの遊び

 裁判において賭けの要素が含まれるのは、たんに裁判の結果に人々が賭けるということだけではありません。裁判は二人の当事者が法廷という裁きの場において賭けをして、その賭けに勝った者の訴えが認められるということです。ここでは裁判の場が正義や真理を問うものではないことは明らかでしょう。当事者たちの対決の場であり、その力が問われるのですが、その力の性質が特殊なのです。社会において有力な者が、つねにこうした力をそなえているとは限りません。弱者にも弱者なりに力を発揮できるというのが、遊びという営みの特殊な性格なのです。

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「人間の文化の根底にある遊びの諸相(その2)「裁判における三つの遊びの要素」」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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