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クジラの凱歌

2014年4月4日(金)

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 3月の31日、日本が南極海で実施している調査捕鯨が違法かどうかを日豪が争っていた裁判で、国際司法裁判所(ICJ)が、日本側完敗の判決を言い渡した(こちら)。

 判決を受けて、関係各方面には、静かな衝撃が広がっているという。

 なるほど。
 来るべきものが来た感じだ。

 今回はクジラの話をしようと思っている。

 クジラの話題は、必ず荒れる。

 だから、この問題に触れる時には、論点を整理して、荒れる部分と荒れない部分をきちんと切り分けたうえで、感情論に流されない冷静なディスカッションを心がけるべきだ――といったあたりの心構えが、良い子の前提ではあるのだろう。

 が、建前は建前として、クジラの話を「感情論」抜きで話すのは、簡単なことではない。ほとんど不可能と言っても良い。

 というのも、捕鯨問題の核心である「食文化」や「宗教的伝統」は、そもそも、感情の分野の話題だからだ。これらのポイントを捨象したうえでクジラの話をしても、そんな論争にたいした意味はない。

 つまり、クジラに関する話題を、「感情に流されない」で論じることは、前提からして無理があるわけで、言ってみれば、水に濡れないで泳ぐに等しい。

 もっとも、コラムニストは、時々それをせねばならない。そして、空中水泳は、見破られた時のリスクがとてつもなく大きい。

「どうしたんですか? 町中で水着なんか着て」

 できれば、見て見ぬふりをしてほしい。
 私とて好きで裸体を晒しているわけではない。
 
 話を元に戻す。 

 クジラの問題は、元来、そのかなりの部分が感情の問題だった。ということは、「感情論」であることを攻撃したり、感情に流されていることを反省している限り、話は前に進まないのである。
 
 前提を考え直さなければならない。
 クジラは感情を含んでいる。
 われわれは、クジラに対して、感情的抜きで対峙することができない。

 クジラを食べたいと思うことも、かわいそうだと感じることも、伝統を守りたいと考えることも、調和を大切にしたいと心がけることも、いずれも感情を含んでいる。どの感情が劣っていてどの感情が優れているという話でもない。

コメント63

「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」のバックナンバー

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「クジラの凱歌」の著者

小田嶋 隆

小田嶋 隆(おだじま・たかし)

コラムニスト

1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、紆余曲折を経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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