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遊びの第一の機能 聖なるものとの交通(3)

遊ぶ(19)

2014年5月15日(木)

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死の世界と生の世界を媒介する人形

 さて前回は、人形がもっている聖なるものとしての要素について考えてみました。そして「汚れたもの」も聖なるものという意味を帯びることを確認してきました。「汚れ」というものはこの場合、「よごれ」ではなく、死の「けがれ」のことを意味しているわけです。

 彼岸である死者の世界は、聖なる場であると同時に、汚れを生む場でもあります。その世界に接触することは、日常の生者の世界にとっては禁忌となるのです。そして人形は、「ひとがた」として、死者の世界と生者の世界を媒介する役割をはたしているので、人形を触ることは聖なる汚れをもたらすわけです。

子供の位置

 それではとくに日本では、子供だけはどうして人形を抱いていても、けがれない、あるいはけがれの影響をそれほど受けないと考えられていたのでしょうか。これは難しい問題で、簡単に答えることはできないでしょう。ここでは子供の位置の二重性に(そして遊びの第二の機能との結び付きに)、その謎を解くための糸口をみいだしたいと思います。

 まず子供は、まだ生まれて間もないために、生者の世界にそれほど深くはいりこんでいないと考えられたらしいことです。子供は生まれる前は、無であり、無の世界にいたわけです。そしていつ無の世界に戻ってしまうかもしれないという思いがあったようです。

 東北地方には「座敷童子」という不思議な存在について語られています。見知らぬ子供が座敷に座っていて、いたずらをしたりすることを昔の人はよく見たようです。そしてこうした童子が現れると、縁起が良いものと考えたそうです。この童子が姿を消すと、その家も衰えると信じられていました。この伝説が物語るように、子供はどこか神秘的で霊的な要素をそなえていて、生と死の二つの世界の間を容易に行き来するかのように思われていたのでしょう。そして子供には、成人にはない不思議な能力があるかのように思われていたのでした。

ヨンドリボウ

 柳田国男は、東北の「いたこ」のもっていた「オシラサマ」と、子供たちの「ヨンドリボウ」の類似性に基づいて、子供の不思議に能力について推測しています。「ヨンドリボウ」というのは、東北の子供たちが鳥小屋遊びのときに使った棒のことです。鳥小屋遊びというのは、お正月に子供たちだけで小屋にこもって遊んだ遊戯のことです。

 柳田の説明によると「子どもばかりで、二夜も三夜も屋外の仮小屋に、親を離れて寝起き飲食するということであった。柳や〈ぬるで〉の木を削っていろいろの飾りをつけた祝い棒がこのために銘々に与えられる。それでたんたんと横木をたたいて、心まかせに鳥を追う詞(ことば)を唱えるのが、いわゆる鳥小屋の生活であった」[1]といいます。この鳥小屋は「ワアホイ小屋」とか「ホンヤラ堂」とか呼ばれたそうです。

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「遊びの第一の機能 聖なるものとの交通(3)」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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