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遊戯の第七の機能 何もしないこと

遊ぶ(27)

2014年7月10日(木)

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何もしないこと

 このように、遊戯にはさまざまな機能があることを、ブリューゲルの絵の中から読み取ってきました。遊びは、聖なるものに通じる道として働き、社会への統合の道として機能します。子供たち自身の共同体への参加の道であり、社会や子供の共同体への参加を拒む者への制裁として働きます。反対に既存の秩序を顛倒する働きもありました。そして文化的な営みとしての学びや芸術の楽しみの機能もありました。遊びはこのように社会のうちで多様な働きをすると考えることができます。

 それでは遊びの最後の働きはどのようなものでしょうか。それは機能をもたないこと、何もしないことにあります。イタリア人たちは休暇の大切な効用として「ファール・ニエンテ」を挙げています。何もしないことです。長い休暇をとったら、あくせくとどこかへでかけたり、見物したりするのではなく、まったく何もしないことに費やすのです。何もしないこと、それもまた大切な遊びなのです。

無償の遊び

「子供の遊戯」(部分、以下同)

 ブリューゲルの「子供の遊戯」の絵にも、そうした遊びが描かれています。いかなる機能ももたず、ただひたすらに遊びことに熱中する遊び。たとえば女の子たちの「スカートを膨らませる」遊びがその一例です。この遊びは何を目的とするのでもありません。「素早く体を揺らし、一生懸命回り、突然地面に体を低くしてしゃがみ、スカートを風によってまるで飛行船のようにふくらませる」[1]のです。

 女の子たちがしているのは、ただ体を回して、急にしゃがんでスカートを地面に丸く膨らませることだけです。その丸い膨らみが自慢なだけ。競争も学びも参加もなし。まったくの無償の遊びです。何かいいですね。

 あるいは「樽栓の穴から叫ぶ」遊び。この遊びはたんに空の樽をみつけたら、その栓のところから大きな声で叫ぶだけです。樽の中で自分の声が反響して聞こえる。ただそれが楽しいのです。ほかの子供たちと一緒にするわけでもないし、自分の声が聞こえたからといって何か報われるわけでもない。ただ響いて聞こえる声が楽しいだけです。

 それに窓から「吹き流し」で遊んでいる子供も、ただ風に吹き流しがなびくのが楽しいだけです。仲間への合図でも、凧揚げのように、長く揚げていることを競うわけでもなく、ただ白い布が風にたなびくのが楽しいのです。シャボン玉のように空気の球が空を飛ぶのを眺めるのも楽しいものですが、吹き流しが風にたなびくのを眺め、そして自分の持っている棒にその手応えが感じられるのが、ただ楽しいのです。

 この吹き流しをしている子供はまだ窓からやっと頭がのぞいているくらいです。これらの遊びはとくに年少の子供たちに好かれたようです。年長の子供たちのように、集団を作って遊ぶだけの智恵も、率先して遊びを始める力もないので、一人でも楽しめるこうした無償の遊びが楽しいのでしょう。こうした絵は、わたしたちにもまた遠い子供時代の一人遊びの楽しさをぼんやりと思い出させてくれて、楽しいものです。

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「遊戯の第七の機能 何もしないこと」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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