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夢の主体と「わたし」

夢をみる(7)

2014年9月11日(木)

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夢と同一化

 夢に登場する人物がこのように、複数の人物で構成されていて、夢の主体にとって受け入れやすいイメージの背後に、別の人物と別の思想が隠れていることが多いことは、前回も考察したとおりです。夢の人物像において、圧縮や移動の操作によって、夢見る主体が思いもかけなかったような人物や思想が同一化されて表現されていることもあるのです。

 ところで一方では、夢に登場するすべての人物が、夢の主体の断片をうけついでいることもあります。わたしたちは夢をみていて、この人物が自分だと感じることがあります。あるいは夢の途中で、第三者の場所に「わたし」が登場することもあります。夢の人物の誰が「わたし」であるか、これは夢の分析にとっては重要なテーマとされています。

 夢の分析では、わたしが夢の中に登場するかどうか、登場したわたしは実際の年齢よりも若いかどうか、それが同じ性であるかどうかが重要な問題となることが多いのです。わたしが夢の外から登場人物を眺めている夢もありますし、わたしが現実の自分よりも若い姿で登場することもあります。わたしが異なる性で登場することもあります。そのそれぞれが、分析の重要な手掛かりになるのです。

 しかしこの主体の問題を手掛かりに行う分析には制約があります。たしかにわたしが男性であるならば、女性の姿をとって登場した場合には、ある種の倒錯を疑う余地があります。また幼い姿で登場したのであれば、それはわたしの幼年期や少年期にあるトラウマを経験したことが表現されているかもしれません。それでもわたしの夢はわたしが作りだしたものであって、その情景と登場人物のすべては、わたしの一部であるのです。

人物への同一化

 フロイトはこのことについて、「夢の内容のうちに、わたしの〈わたし〉ではなく、ただ別の人間がひとり出てきた場合にも、わたしの〈わたし〉が同一化によってその人間の背後に隠れていると考えていい。わたしはそこにわたしの〈わたし〉を補足して差し支えないのである」と語っています[1]

 ここでわたしというのは、夢の主体のことであり、〈わたし〉というのはその主体が夢の中で登場した自分の姿です。わたしの夢の中にわたしが〈わたし〉という姿で登場しなくても、別の人物の背後にわたしが〈わたし〉として隠れていると考えるべきなのです。フロイトはそのように別の人物が夢に登場しても、その背後にわたしが隠れていると考え、その人物とわたしの共通点を探す必要があることを指摘しています。「わたしはこの同一化の道を通じてわたしの〈わたし〉に、その受け入れを検閲が拒否したところの諸観念を結びつけなければならない」[2]というわけです。

 もちろんすべての夢の人物がわたしの代理であることはないでしょう。自分の父親が夢に登場したときに、その父親のうちに〈わたし〉を読み込む必要はないでしょうし、そうすべきでもないのです。フロイトはその判断基準として、「夢の中で、眠っているわたしが感じ取るある情動の下に屈するところの人物は、その背後にわたしの〈わたし〉を隠している」[3]ことを指摘します。

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「夢の主体と「わたし」」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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