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イトーヨーカ堂のDNAを育んだ「二枚儲け」

小売の王道を歩んだアイデアマン、吉川敏雄

  • 伊藤 雅俊

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2006年5月1日(月)

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 イトーヨーカ堂の歴史をたどっていくと、起点は大正9年にまでさかのぼります。先にもちょっと触れましたが、この年に母の弟、吉川敏雄が開いた洋品店を兄が受け継ぎ、それが現在のイトーヨーカ堂につながっているからです。

 吉川は父親が若くして亡くなり、「めうがや」(みょうがや)という足袋店に奉公します。大正9年、浅草の店をのれん分けしてもらい独立しました。ところが吉川は、これからは洋品の時代だと言って、洋品店に業種替えをします。この店は「めうがや洋品店」としてスタートしましたが、2、3年後に「羊華堂洋品店」に名前を変えました。

 当時、日華堂という洋品の繁盛店があり、それにあやかったのと、吉川が未年生まれであるところからつけた名前です。現在の社名につながる羊華堂の誕生です。

 吉川は足袋の商いを嫌ったところにも表れているように、ハイカラ好みの人でした。いつも洋服をばりっと着こなし、洋楽を聞き、ダンスが好きだったそうです。

日本初のボランタリーチェーンを設立

 商売のうえでも進取の気性に富んでいて、昭和4(1929)年、日本で最初のボランタリーチェーン(VC)「全東京洋品商連盟」を7人の仲間と設立しています。すぐに目黒・オリオン堂の喜多村実さんも加わりました。喜多村さんは後に、中小商店の経営指導に当たる公開経営指導協会を設立し、小売業界の発展に尽力した方です。商業史に残る方ですが、吉川もVCに参加したことによって、商業史に名を残しました。

 そのころ、不況は次第に深刻化しており、大衆路線をとる百貨店が中小商店の前に立ちはだかり始めていました。全東京洋品商連盟はこうした状況を打開しようと、共同仕入れ組織として作られたものです。

 最初は問屋が抱えている在庫品を安く仕入れるところから始めました。力を持った洋品店がそれぞれ、自店での販売の工夫を仲間に公開しながら進めたので、共同仕入れは大成功でした。各店の売り上げは五割増から倍増だったといいます。

 しかし、VCを設立した本当のねらいは、チェーンブランド商品を開発することでした。やがてワイシャツを皮切りに猿股(パンツ)、カンカン帽など、商品を研究し尽くして、どこにも負けない仕様で発注し、安く売ったので、大人気を博したそうです。

 そうなると問屋さんが、連盟を通さずに各店と取引するようになります。各店も連盟に手数料を支払わなくてすむ個別取引に走り、昭和9年にはこの画期的な取り組みも失敗に終わりました。共同仕入れは理屈のうえでは効果を生む仕組みですが、実際の運営はなかなか難しいものなのです。

 もうひとつ、吉川のアイデアマンぶりを示すエピソードを記すと、吉川は三角形の移動式ショーウインドウを作りました。歌手を招いてその中で歌わせたのです。これは人集めに大変な効果を発揮し、お巡りさんが人ごみの整理のために駆けつけたといいます。まねをする同業者が相次いだそうです。

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