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1966年に「Web2.0」を先取りしていた盛田昭夫氏

銀座を変えたソニービルの40年

  • 寺山 正一

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2006年8月23日(水)

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 片方向ではなくて双方向、マス広告による大量生産、大量販売ではなくて口コミを生かした伝播型マーケティング。素人なりに今をときめく「Web2.0」の特徴を述べるなら、上記の2点は欠かせないのではなかろうか。

 今をさかのぼること40年、1966年に早くもWeb2.0と同じ発想を抱いていた先達がいる。ソニーの創業者にしてマーケティングの天才でもあった盛田昭夫氏。盛田氏こそ、インターネットなき時代に「2.0型マーケティング」の構想を心に抱き、実行に移したパイオニアなのである。

資本金に匹敵する32億円の大型投資

 言うまでもなく、1966年にはインターネットはおろか、固定電話すら家庭には普及していなかった。学校で配られる生徒名簿の電話番号欄に(呼び出し)の文字があった頃の話である。

 だとすれば、盛田氏はいったいどうやって「2.0型マーケティング」を実行に移していったのか。

 銀座を訪れた人なら、数寄屋橋交差点の一角にある「ソニービル」を一度は目にした記憶があるだろう。テレビニュースなどで銀座を取り上げる際には、よく背景に映っているビルだから、実際に銀座を訪れた経験のない読者でも、「ああ、あのビルのことか」と何となく外見が思い浮かぶかもしれない。

 このソニービルが、盛田流2.0マーケティングの実験場だった。「ただのショールームじゃないの?」と現代の感覚で言い切るなかれ。完成までに2年の月日を費やしたソニービルは、土地と建物を合わせて32億円という当時の資本金に匹敵する投資を注ぎこんだ「戦略物件」だったのである。

 ソニービルの立ち上げとともにソニーに入社して、ソニービルが軌道に乗るまでの5年間、現場で奮闘していた大木充エグゼクティブ・バイス・プレジデントは当時の思い出を振り返る。

 「盛田さんは品川の本社で仕事が終わると、毎日のように銀座のソニービルに顔を出しておられました。夜の8時9時にお見えになって、内装や商品の陳列など、細かいところまでご自分の目で確かめておられたのです。ただ、実際にビルが出来上がってからは、我々若い社員のアイデアにあまり口を挟まずに、どんどん採用してくださった。モノを売るのではなくて、ブランドや社格を高めるビルにしてほしい、というのが盛田さんの口癖でした」

北海道すずらん娘の無料配布で集客

 「百聞は一見に如かず」というのは小学生でも知っている慣用句だが、人間というものは、意外に垂れ流しの映像よりも人の口の端に上る「四方山話」の方を信用するものだ。

 少なくとも、一方的なコマーシャル映像だけで見せられるより、信用できる誰かが「あの製品は使いやすい」と薦めてくれる一言が加わった方が、ずっと購買に結びつきやすいのは否めない。量販店の隆盛は、この「信用できる人、つまり商品知識の豊富な店員の押しつけがましくない上手な薦め方」と無関係ではないだろう。

 商品の宣伝とは異なるスマートな手段で人を集め、来客者にソニービルの都会的な雰囲気を味わってもらい、その映像をマスメディアで流し、マスコミと口コミの「メディアミックス」でブランド価値を高めていく。

 例えば、今では当たり前になった地下鉄の地下コンコースから地上に出ないでビル内に入れる設計は、銀座でもソニービルが先駆けだった。このことは、ほとんど知られていない。

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