「宋さん、逃げることの重要性は分かりました。しかし、家に逃げ込んだ息子は逃げたままです。どうしたら独り立ちさせることができますか」。
いじめと自殺について書いてきたこれまでの2回の続編とは言えませんが、聞かれると「正解はない」と分かっていても考えてしまう性分です。僕なりの意見をまとめてみました。
運命を認めることで、冷静さを取り戻す
僕の子供は、先天性の病気を抱えています。なぜ僕の子供がこんな目に遭うのかと悩んだ時期がありましたが、今はそれが運命と思って納得しています。
僕の兄弟は7人います。同じ親の元に生まれながら、7通りの人生を歩んでいます。まったく類似性のない7通りです。親がいくら“頑張って”も、子供には子供の運命があります。他人の意思ではどうすることもできないその人の人生の定めを、我々は運命と言います。
およそすべての宗教は、この運命を神の意思として解釈しています。宗教が広く普及する理由の1つには、時に理不尽な運命に前向きの解釈を提供してくれるからなのです。
生まれつき、体が丈夫な子供がいます。そして体が弱い子供がいます。また、生まれつき負けず嫌いな子供がいます。そして「お先にどうぞ」と競争より融和を好む子供がいます。
我々が行っている教育は、持って生まれた運命を根本から変えることができません。せいぜいそれを調整する程度です。後天的に変えられるものは、運命という神が唯一、司ることができるものから見れば、ちっぽけなことかもしれません。
大人になっても、精神的に独り立ちできない子供がいるとします。それはもう運命として、まず受け入れることでしょうね。何も努力しないという意味ではなく、その事実を冷静に受け入れて、同年代の普通の子供と比較して考えないことです。不公平だと思って焦ったり悔やんだりすると、ますます出口が見えないと思います。
この世の中には、病気や弱者が常に存在するものです。我々は常にそれが自分と無縁であることを期待するのですが、残念ながら誰かがそれに当たる必要があります。とてもきざな言い方ですが、我々がその不運を引き受ければ、その分他人がその不運から逃れられるのです。
しかし、不運はいつまでも続くものではありません。運と不運があるタイミングと条件になると入れ替わることが多いです。「塞翁が馬」が言うように。
弱者とは敗者であり存在価値が低いという考えは偏見です。それはコンプレックスでもあります。この偏見なり、コンプレックスがなくならい限り、理不尽な弱者に対するいじめはなくならないでしょう。これについて興味を持たれる方は僕の別のエッセイを読んでください。
「天生我才必有用」
詩人李白は「天生我才必有用」という不朽の名句を残しました。「天が私を生んでくれた以上、必ず世の中の何らかの役に立つためである」という意味です。ここの「天」は神であり、当人の意思によらない運命です。愛情、友情、金銭、政治などの挫折を受け入れながら、なお人生を前向きに捉え、運命と楽観的につき合う詩人だからこそ発せる名句です。
ご存じのように発明家トーマス・エジソンは、お母さんから学校に行かなくてもよいことを教えてもらいました。今風に言えば、エジソンは登校拒否の問題児だったかもしれません。しかし、エジソンの例をみてもおわかりのように、一時は“問題児”であっても、最終的に社会に貢献する例はいくらでもあります。
僕は上場を果たした日本のベンチャー企業の若い経営者を多数、知っています。彼らの中には、意外とニートやフリーターの経験を持つ人が多いのです。少なくともエリートと言われる人たちよりは、彼らの「不良率」がずっと高いはずです。
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