「ブックオフ社長橋本真由美の「最強の現場の創り方」」

(5)人口100人の村で「いちがいに」育ちました

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2006年12月20日(水)

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 私の生まれ故郷は、福井県の東端、岐阜県境にある和泉村です。高い山々に囲まれ、九頭竜川が貫通する村です。私はそこで1949年3月21日、林業を営む父、清水栄馬と専業主婦だった母、清花の間に生まれました。下に弟が2人、國明と英二がいます。祖父母と一緒に暮らしていたので、7人の家族でした。

「あと2日で土曜日や」と起こしてくれた祖母

ブックオフ社長 橋本真由美氏 (写真:鈴木 愛子)
ブックオフ社長 橋本真由美氏 (写真:鈴木 愛子)

 「山と山の間に物干し竿を渡して洗濯物が干せるんじゃないか」と、弟の國明がテレビで言っていたんですが、まさしくそう思うほど、切り立った山に囲まれた村でした。細くうねる棚田でわずかながらの農業が営まれていました。冬になったら村は雪で閉ざされてしまい、蛋白源といえば、野生のクマかウサギです。村に住むのは25〜6世帯、人口でいえばわずか百何十人。その小さな村落で、父は何代か前から引き継いだ山をいくつか持ち、林業を営んでいました。杉や檜の山で生計を立てていました。

 過保護に育てられました。毎朝、祖母が子供達3人を起こしに来るんです。むずかる私たちに、水曜日には「今日で1週間の半分や」、木曜日には「あと2日で半ドンや、だからがんばって、起きなさい」なんていって、なんとかなだめようと優しい言葉をかけてくれるんです。

 冬は寒いから、といって祖母は外に絶対に出そうとしない。それでも外へ出るとなると、自分の懐で3人分の手袋を暖めておいて、さっとほかほかしたのを手にはめてくれるんです。靴だって、3人が足を出すと、祖母が腰を丸めて履かせてくれました。

 祖父は祖父で、学校で私たちがいじめられたりすると、よその家にどなり込みます。とにかくうちの子はかわいい、でもよその子はどうでもいいという考えで。中でも一番祖父母にかわいがられていた國明は、一歩外へ出ると泣き虫でしょうがない。いたずらして先生に叱られるとウワーンと泣いて、もう泣くなと言われるとまた泣いて。私はそんな國明にいつも心配そうに付き添っていたそうで、学校の先生は、國明が泣くのを見る私の顔が辛そうで、かわいそうだったと言っていました。

甘やかされて育ったけれど、筋は通っていた

昭和55年 1980年 31歳の頃 清水家の家族旅行
昭和55年 1980年 31歳の頃 清水家の家族旅行

 ただし父は厳しかった。父の権威は絶対でした。一家の長である父の言葉は、何につけ最終決定権がありました。だから何でも最後は「お父ちゃんに聞きなさい」。それに清水家は村の中では、少々、尊敬を集める家だったのです。というのも父も母も大変な働き者、林業の傍ら小学校で代用教員をしたり、PTAの会長や婦人会の会長をしたり。村では「清水さんのおうちみたいによく働きなさい」とささやかれていたらしいです。

 和泉村の小学校はのどかでした。複々式といって、1年生から3年生まで、4年生から6年生が1クラス、全校でわずか2クラスの学校です。それでも私が入学する年は、戦後のベビーブームの真っ盛り、全校生徒が25〜6人にまで増えてしまったといって、初めて複式、1年生と2年生で1クラスの学級編成になったんです。

 学校から帰ったら弟たちは九頭竜川で魚採りをしたり、大人に混じってクマ狩りに行ったり。私は活発な方ではなかったので、家で1人、漫画を読んだり、おままごとをしたりしていました。祖父母と両親はいつも動き回っているのに、子供達はさして手伝いもさせられなかった。辛いこと、しんどいことはみな親、祖父母が肩代わりしてくれていました。

 このように過保護に育てられた私たちでしたが、祖父母も甘いばかりではなくて、1本、筋は通っていました。

 思い出すのは、いつもいつも「いちがいな人間であれ」と言われていたこと。いちがい、というのは方言で、まっすぐなといった意味です。とにかく人として曲がったことをするな、と。

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著者プロフィール

長田美穂(ながた・みほ)

ジャーナリスト 1967年奈良県生まれ。東京外国語大学中国語学科卒業後、日本経済新聞記者を経て1999年よりフリーに。消費社会、性と社会問題をテーマに執筆。著書に『ヒット力』(日経BP社)『問題少女 生と死のボーターラインを揺れた』(PHP研究所)など。 



このコラムについて

ブックオフ社長橋本真由美の「最強の現場の創り方」

“ビジネスモデル”で考えると、ブックオフの仕組みは恐ろしいほど単純だ。にもかかわらず、ブックオフだけが勝ち残ってきた理由は、現場(店頭)にある。

 この連載では、ブックオフの強力な現場が作り出されるまでの経緯を、1号店の現場からたたき上げて社長に就任した橋本真由美氏が語り下ろす。同社の「育ての母」の生の声を存分にお聞きいただきたい。インタビューと構成は日経トレンディなどで活躍中のライター、長田美穂氏、写真は鈴木愛子氏が担当する。

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