「宋文洲の傍目八目」

宋文洲の傍目八目

2007年1月25日(木)

捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと

1/4ページ

印刷ページ

 1996年11月の四川省の寒村。若い未婚の男性農夫が草むらに捨てられた女の子の赤ちゃんに気づきました。赤ちゃんを育てるのは、貧乏な彼にとって重い負担。そう考える彼は何回も赤ちゃんを抱き上げては下ろし、立ち去ってはまた戻りました。最後、彼は命が尽きそうな赤ちゃんに呟きました。

 「私と同じ、貧しい食事を食べてもいいかい」と。

 独身のまま1児の父親になった農夫は、粉ミルクを買うお金もないため、赤ちゃんはお粥で大きく育てられました。病気がちな体は心配の種でしたが、聡明で近所からとてもかわいがられたのは、お父さんの救いでした。

 女の子は5歳になると、自ら進んで家事を手伝うようになりました。洗濯、炊飯、草刈りと、小さな体を一生懸命に動かして、お父さんを手伝いました。ほかの子と違ってお母さんがいない少女は、お父さんと2人で家をきり盛りしました。

突然押し寄せた不幸

 小学校に入ってからも、少女はお父さんをがっかりさせたことはありませんでした。習った歌をお披露目したり、学校での出来事を話したりと、お父さんを楽しませました。そんな平和な家庭に突然の暗雲がたれ込みました。

 2005年5月。ある日、少女は鼻血がなかなか止まらない状態になりました。足にも赤い斑点が出たため、お父さんと病院に行くと、医者に告げられた病名は「急性白血病」でした。

 目の前が真っ暗になりながら、お父さんは親戚と友人の元に出向き、借りられるだけのお金を借りました。しかし、必要な治療費は30万元。日本円にして400万円です。中国よりずっと裕福な日本でも、庶民にとっては大金になるような治療費を、中国の農民がどうにかできるはずもありません。集めたお金は焼け石に水でした。

 かわいい我が子の治療費を集められない心労からか、日々痩せていくお父さんを目にして、少女は懇願しました。「お父さん、私、死にたい。もともと捨てられた時に、そのまま死んでいたのかもしれない。もういいから、退院させてください」と。

自ら治療を放棄すると退院

 お父さんは少女に背を向けて、溢れ出た涙を隠しました。長い沈黙の後、「父さんは家を売るから、大丈夫だよ」と言いました。それを聞いて、女の子も泣き出しました。「もう人に聞いたの。お家を売っても1万元しかならないのでしょ。治療費は30万元ですよね」と。

次ページ以降は「日経ビジネスオンライン会員」(無料)の方および「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみお読みいただけます。ご登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。




関連記事



Keyword(クリックするとそのキーワードで記事検索をします)


Feedback

  • コメントする
  • 皆様の評価を見る
この記事を…
内容は…
コメント180 件(コメントを読む)
トラックバック

著者プロフィール

宋 文洲(そう・ぶんしゅう)
ソフトブレーン
マネージメント・アドバイザー

そう・ぶんしゅう

1963年6月中国山東省生まれ。84年中国・東北大学を卒業後、日本に国費留学する。90年北海道大学大学院工学研究科を修了。天安門事件で帰国を断念し、日本で就職したが、勤務先が倒産。92年ソフト販売会社のソフトブレーンを創業し、代表取締役社長に就任、99年2月代表取締役会長に。2000年12月に東証マザーズ上場、2005年6月に東証1部上場を果たす。2006年1月代表権を返上し取締役会長に、同年8月31日、「もう1人の社長」「陰の実力者にならない」として、取締役会長を辞任し、マネージメント・アドバイザーに就任する。(写真:川口 愛)


このコラムについて

宋文洲の傍目八目

日本人が意外と気づかない視点を、『ここが変だよ日本の管理職』『やっぱり変だよ日本の営業』などの著書でおなじみのソフトブレーンのマネージメント・アドバイザーである宋文洲氏が独特の切り口で紹介します。

⇒ 記事一覧

ページトップへ日経ビジネスオンライントップページへ

記事を探す

  • 全文検索
  • コラム名で探す
  • 記事タイトルで探す

編集部よりお知らせ

日経ビジネスからのご案内